だ十分女の暗黒面を『著聞集《ちょもんじゅう》』や『今昔物語《こんじゃくものがたり》』などのように露骨に書いてないのは、当時の手本である支那文学にそういう類の物がなかったせいでもありましょうが、一つは男に甚《ひど》く女の醜い所を見せまいという矯飾の心、後世の道徳家の言葉で申せば貞淑の心から書かなかったのでしょう。
紫式部は女を巧く書きましたにかかわらず、男はそれほどでもありません。光源氏《ひかるげんじ》などはどうも理想の人物で当時の歴史を読んだ者にはこういう男子の存在を信ぜられません。昔から女には男を書く事が困《むず》かしいのでしょう。近松《ちかまつ》の書きました女性の中でお種《たね》にお才《さい》、小春《こはる》とお三《さん》などは女が読んでも頷《うなず》かれますが、貞女とか忠義に凝った女などは人形のように思われます。
婦人の小説家がこの後成功しようと致すには、従来《これまで》のように男の方の小説を模倣する事を廃《や》め、世間に女らしく見せようとする矯飾の心を抛《なげう》って、自己の感情を練り、自己の観察を鋭くして、遠慮なく女の心持を真実に打出すのが最上の法かと存じます。また女の作家がこういう態度で物を書けば、几帳《きちょう》を撤して女の真面目《しんめんぼく》を出すのですから、女の美も醜も能《よ》く男の方に解る事になりましょう。また私はこういう態度を取れば女にも小説が書けるものだと信じております。と申すと、女は大変に暗黒面の多い者、御座《おざ》の醜《さ》める事の多い者であって、それを忌憚《きたん》なく女自身が書いたら風俗を乱すなどと想う人もありましょうが、女とても人ですもの、男と格別変って劣った点のある者でなく、あるいは美しい点は男より多く、醜い点は男より少いかも知れません。女ばかりでなく、男の方も随分まだ醜い所を隠しておられるのではないでしょうか。
『古事記』の女詩人や、小野小町《おののこまち》、清少納言《せいしょうなごん》、和泉式部《いずみしきぶ》などの歌った物を見ますと、女が主観の激しい細かな詠歎を残しておりますが、この方には割合に矯飾が行われずに真率に女性の感情が出ております。私は小説家ばかりでなく、詩歌《しいか》の作者としてもまた新しい婦人の出て来られることを祈っておるのです。
[#下げて、地より1字あきで](『東京二六新聞』一九〇九年三月一七
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