麻痺させる危険が多い。また国家がそれらの醜業を公認し、直接にそれらの売淫営業税を収めて教育その他の国家事業に使用するに到ることはまた国家道徳の矛盾である。また娼婦の国家的公認は、娼婦の存置が人間の弱点と社会組織の不備とから来るやむをえない消極的事情に由るということを忘れて、かえって積極的に必要な公共機関であるように、多数の無智な男女に誤解させる。
 この外になお私が公娼に反対する大きな理由がある。聞く所に由ると、公娼の営業組織は男子に必要以上の金銭を濫費《らんぴ》させるように出来ているそうである。そういう在来の暴利的習慣は容易に改められるものでない。その点になると私娼は一般に経済的であるといわれる。この事は特に独身男子の経済力のために深く考えねばならないことである。公娼制度が教育上に及ぼす害毒や、その営業者が娼婦を束縛し虐待して人間の自由を蹂躙《じゅうりん》する悪弊やは今更私がいうまでもない。
 私は未成年男子の買淫もまた有妻者のそれと同じように厳しく政府が防止すべきであると考える。今の家庭と学校当事者の保護のみに任せて置くことは危険である。
 私は公娼よりも私娼を存して置くことにやむをえず寛容を与える者であるが、それには勿論いろいろの条件を附けたい。第一、公衆の目に触れないように場末の地を限って手軽な待合《まちあい》営業を黙認し、その営業の不徳を自覚せしめて、出来るだけ目立たぬよう隠密にそれを営む心掛を徹底させることが必要である。
 私娼とてもこれを奨励するのでなく、むしろ出来るだけ減少せしめようとするのであるから、政府が売淫周旋業者が悪辣《あくらつ》な手段を用いて純良な処女を欺《あざむ》き、その意志に反した売淫を行わしめるような行為を防止し、それを犯す者は厳しく罰することも必要である。今日はどん底まで糊口《ここう》に窮して売淫する悲惨な女は尠《すくな》い。太抵は労働を避けて些細《ささい》な物質的|贅沢《ぜいたく》の中に遊惰《ゆうだ》な日送りをしようとすることが動機であるから、政府は世の社会改良家、教育者、慈善家と共に、それらの無智な女に勧めて何らかの正しい労働に服させるような方法を講じ、出来るだけ下層階級の女の堕落を防ぐべきである。
 娼婦に対する検黴《けんばい》制度の実行が公娼には完全に行れ、私娼には不十分であるという理由はなさそうに想われる。私娼がもし監督の上に不便であるなら、すべて酌婦の名義で届|出《い》でる手続きを取らせてもよい。私娼の意義が明示されるような名は宜しくない。今日では芸妓も裏面では私娼の事を行う者が多いのであるから、検黴制度を彼らにも及ぼすのが当然である。
 私は内務省が先きに絶滅させる必要のある、そうして絶滅させることの容易な公娼を存して置いて、絶滅させることの難い、そうして存置する方が公娼よりも害毒の露骨でない私娼を撲滅しようとするのを見て、その無駄な努力を惜むよりも、更にその社会的影響の好くないことを想う者である。内務省の真意は公娼を倫理的に公認するのではないのであるが、世の公娼営業者、多数の放恣《ほうし》な男子及び多数の無智な女子はその意味に解釈しようとするであろう。
[#地より1字上げ](『太陽』一九一六年六月)



底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「我等何を求むるか」天弦堂書房
   1917(大正6)年1月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
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