の生活の保障を得るために一生を男に託する女、即ちその当時の妻たり妾たる者がそれである。第二種は短期の生活の保障を得るために一夜を男に託して遊楽の器械となる女、即ち娼婦のともがらである。この第二種の女には労働を避けて物質的の奢侈《しゃし》を得ようとする遊惰性と虚栄心に富んだ女が多く当った。
 その二種の女が後世になって、一は妻及び妾たるその位地を倫理的に――仏教、儒教、神道、武士道が妾を是認した如く――正しいものとして認められ、一は醜業婦として倫理的に排斥せられるに至ったのは、男に便利な妻妾の制度を男が維持する必要からの便宜手段であって、男の倫理的観念が妻及び妾に対等の人権を認めるまでに進歩したからではなかった。男はその独占欲から妻妾の貞操を厳しく監視するにかかわらず、男自身の貞操を尊重しようとはしなかった。妻妾の貞操は偏務的のものであった。そうして男は妻妾以外に娼婦との触接に由《よっ》てその性欲の好新欲を満足させるのであった。
 妻の意義は近代に至って大に変化している。しかし現代の妻たる婦人の中にも、愛情と権利との平等を夫婦の間に必要としないで、なお昔の第一種の売淫婦型に甘んじている者が尠《すくな》くない。それらの婦人が自己の醜を忘れて、第二種の売淫婦ばかりを良心の麻痺した堕落婦人であるように侮蔑するのは笑うべきことである。私はそれらの婦人が醜業婦を憎むのを見るたびに、彼らは無意識に商売|仇《がたき》を憎んでいるのであるという感を禁じ得ない。
 私は娼婦の発生した主《おも》な原因を以上のように推定する。即ち男子の性欲の過剰と好新欲とが第一因となり、女の経済的無力が第二因となって発生したのである。しかし昔から現代に到るまでの間にはこの外いろいろの原因が加《くわわ》っている。その重なものをいえば、娼婦の需要者たる男の側に、経済的事情と、年齢の関係と、その他の事情から来る結婚不能者もしくは結婚未能者が多数にある。ここにいう結婚とは妻を迎えて家庭を作ることである。即ち或男は妻を養う財力のないために結婚を避けねばならない。薄給と薄利の職業に従事している男及び無産無職の男は悉《ことごと》く結婚不能者である。また或男は年齢が若いのと成年の教育を受けていないのとで社会の習慣が結婚を許さない。この意味で多数の学生や兵士の類は結婚未能者である。また経済事情からも年齢関係その他からも結婚は可能でありながら、男女交際の自由が許されない現代において媒妁結婚の不安を感じて結婚を躊躇《ちゅうちょ》している男があり、媒妁結婚に甘んじるにしてもまだその意味の良縁を得ないで模索している男がある。それらの男も結婚未能者である。こういう結婚不能者と結婚未能者はあながち有妻の男におけるような性欲の過剰と好新欲とからばかりではなく、男の体質として或程度以上に抑制することの困難である性欲の自発から娼婦を必要とするのである。
 また供給者たる女の側にも、女自身の経済的無力もしくは労働を嫌う遊惰心や物質的虚栄心から以外に父兄及び良人の経済的不幸や利欲やの犠牲となり、または悪辣《あくらつ》な売淫周旋業者と売淫業者との巧弁悪計に欺《あざむ》かれて身を売るというような原因も加っている。
 それから娼婦には更に公娼と私娼の二種がある。そうして一定の場所に集って売淫するものを集娼といい、個々に諸処へ散在して売淫するものを散娼というのであるが、公娼にも巴里《パリイ》のそれのように散娼と集娼とがあり、私娼にも散娼と集娼とがある。
 これらの娼婦が倫理的及び衛生的にその女自身を腐敗させるばかりでなく、倫理的及び衛生的に人類を毒するものであることはいうまでもない。この意味において主張せられる廃娼説の正しいことは何人《なんぴと》も認める所である。しかし廃娼説を実行に移そうとすると、娼婦の発生するいろいろの原因から先ず絶滅して掛らねばならないことに何人も気が附く。そうしてそれらの原因が現在の文明程度において一朝一夕に絶滅し得られるものでないことを実証的に知る時は、何人も甚だ遺憾ながら娼婦の存在を或程度まで寛仮《かんか》せねばならないことに一致するのである。
 そこで廃娼説は一転して存娼説となり、存娼説は公娼を存して置くか、私娼を存して置くかの二つに分れる。同時に娼婦の発生するような根本原因を出来るだけ刈除《かいじょ》するために社会組織の改善がますます必要になる。社会組織の改善を眼中に置かない存娼説は在来の素朴な廃娼説と共に最早|迂濶《うかつ》の論議たるを免れないように私は思う。
 私は有妻者にして公私の娼婦を買う男の尠くないことを知っている。それらの男の性欲の過剰と好新欲とは、男自身に反省して克己と節制の習慣を作ると共に、その旺盛《おうせい》な性欲的能力を他の労働もしくは精神的作業に転換するように
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