んの家の蔵のある六軒筋《ろくけんすぢ》の道から二本おきの幾本などと云ふおさやんの声を聞いて見ようかともよく思ひました。かなり感傷的になつて居ましたから其《その》声を聞いて泣いて見たいやうな気があつたらしく思はれます。其《その》時分からおさやんの美くしさは月々減じて行くやうに見えました。私にはそれも悲しいことであつたに違ひありません。私はおさやんが私よりも醜くなつて来たと聞くことが厭《いや》でなりませんでした。龍源の叔父が中浜《なかはま》の家を売ると言ふことで親類達が私の家などに寄つて相談して居るのを聞きまして、親類の人が皆可愛ゆがつて居たおさやんの家のさうなるのを誰か一人でも助けてやる人はないのかなどと思つて大人を憎くさへ思ひました。おさやんは手紙などをちつとも書かない人ですからどうして此頃《このごろ》は居るのか私は知りません。もう堺には居ないのでせうか、気の好《い》い遊び相手だつたおさやん。


私の見た少女 山太郎のおみきさん

山太郎のおみきさん

 私がこれまで少女時代のことを書きまして、初めて見た美しい友達と云ふやうなことがもう誰かのことに云つてありましたら、それはそれを書いた時の思ひ違ひで、私の小さい時に初めて知つた優しい美くしい少女は加賀田《かがた》おみきさんの外《ほか》にはありません。二人は何時《いつ》頃から一所《いつしよ》の組になつたのでせう、それはもう余程小さい頃のことで、何年級制にならない何級制だつた頃のことかと思ひます。其《その》時分の私は外《ほか》にお友達があることは全《まる》で知らないやうに、学校の遊び時間には加賀田さんとばかり遊んで居ました。
 加賀田さんの家《うち》は堺《さかひ》の最も旧《ふる》い家でした。山太郎《やまたらう》とその家のことを呼んで居ました。 余りに勧められまして、私は或時初めての友人訪問に加賀田さんの家《うち》へ行きました。玄関へ加賀田さんが出て来て、上れと云はれて憶《おく》し心を隠して其《その》人に随《つ》いて行きますと、幾室かを通つてそれから出た所は明るい庭の前でした。その縁側は一|間《けん》以上もある幅で、そして何処《どこ》まで行けばしまひになるのか一寸《ちよつと》解《わか》らないやうに思はれるほど長く続いて居るのです。築山《つきやま》も池も花の植つた所も子供の目には見渡し切れなく思はれました。自分などの家と此処《ここ》との懸隔が余りに甚しいので、初めの廊下を曲つて更にまた折れた所の廊下がまた長く、然《しか》も庭の向うにはまだ幾棟かの建物があるのですから、それを見まして、心細いやうな一種の悲哀を覚えまして、
「私もう帰ります。帰りたくなつて来ました。」
と私は云ひました。
「何故《なぜ》。」
と加賀田さんは失望したやうに云ひました。
「何故でも帰りたくなつたの。」
「私の部屋がまだ遠いからだすか。帰りには彼方《あちら》から行けば直ぐ玄関へ出られます。」
と云はれましたけれど、私は、
「また来ますから今日は帰らせて下さいな。」
と云ひ通して、何千石かの酒の造られる匂ひの何処《どこ》からとなくする加賀田さんの家《うち》を出て来ました。それから間《ま》もなしに、加賀田さんが私の家へ来てくれたことがありました。私はそれまで外の方《かた》の処へ行つたことも尠《すくな》い代りに友達を家に迎へたのもこれが初めでした。ですからこんな時にはどうして遊ぶものか、友達も自分も面白いやうにするのはどうするのかが私の経験のないことで解らないのです。街の中の狭い家ですから庭などは四|坪《つぼ》か五坪位よりもないのですからどうしても室内で何かをしなければならないのです。人形を並べたり、小切《こぎれ》を出して見せたりはしても直ぐまた二人は膝の上へ手を重ねて置いて、今に楽みと云ふものが二人の傍《そば》へ自然に現れて出て来るはずだと云ふ風《ふう》に待たれるのでした。加賀田さんが、
「私もう帰ります。」
と云ひ出しました。
「さう。」
 私は悲しくなりました。
「帰りたうなりましたから。」
「そんならお帰りなさいな。」
 前の時に私がしたことを思ふと留《と》めることは出来ないのでした。かうして二人の会合は二度とも失敗に終つたのです。
 それから一年か二年か経つてのことだと思ひます。次のやうなこともありました。学校のお午《ひる》に生徒の半分程は自家《うち》へ帰つて食事をする人でしたが、私も加賀田さんもその仲間でした。それで或時私は、
「ねえ加賀田さん、学校では好きぢやない方《かた》も交つて遊ぶのですから、私それよりもいゝことはないかと考へましたの、あのお午《ひる》に帰りました時ね、学校の太鼓のなるまでお旅所《たび》の処の大きい燈籠《とうろう》へ上つて遊ばないこと。」
 こんな提議を加賀田さんにしました。
「さう
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