は身慄《みぶる》ひがしました。またその横に、母親に招かれて笑ひながら走り寄つて来る子供の絵もありました。私はそれを家中で大騒ぎをされて可愛がられて居る弟のやうな子だと思つて居ました。口の傍《そば》に厭な線を充満《いつぱい》寄せて泣いて居る子の方は、人から見て自分になぞらへられるのではあるまいかと思ふやうなひがみを私は意識せずに持つて居たかも知れません。和蘭陀《オランダ》の風車《かざぐるま》小屋の沢山並んだ野を描いた褐色の勝つた風景画は誰が悪戯《いたづら》をしたのか下の四分通りが引きちぎられてました。私の父はまた色硝子《いろがらす》をいろいろ交ぜた障子を造つて縁《えん》へはめました。廊下にもはめました。欄間《らんま》もそれにしました。一家の者が開閉《あけたて》の重い不便さを訴へるので、父は仕方なしにそれを浜の道具蔵へしまはせてしまひました。けれど欄間だけは長く其儘《そのまゝ》でした。私は欧州へ見物に行きました時、古い大寺のかずかずを巡つたのでしたが、その色硝子で飾られた窓の明りを仰ぎます度に、私は父のことや幼い日のことが思はれるのでした。
西瓜燈籠
これはもう大分《だいぶ》大きくなつてからのことです。藤間のお師匠さんの所へ通つて居た頃から云へば、五年も後《のち》の十歳《とを》か十一の時の夏の日に、父が突然私のために西瓜燈籠《すいくわどうろう》を拵《こしら》へてやらうと云ひ出しました。どんなに嬉しかつたか知れません。老婢は早速八百屋へ走つて行つて、ころあひの小い西瓜を選《え》つて買つて来ました。父は私にどんな模様がいゝかと尋ねましたが、私は何でもいゝと云つて居ました。出来上りましたのは一面に匍《は》つた朝顔の花の青白く光つて透き通る美しさの限りもなく思はれる燈籠でした。その晩軒に吊して置きますと通る人で振返つて賞めて行かないものはない程でした。父は翌日また弟に馬の絵を彫つた燈籠を作つてやりました。その夜の涼台《すゞみだい》の上には朝顔のとそれが並んで吊されました。三|疋《びき》の馬が勢よく飛び上つて居る図がらの好《い》いのを、また街を通る人々が賞めて行きました。私は少し自分のがけなされたやうな悲みを感じました。三日目に父は妹のために楓の葉と短冊を彫つた燈籠を作りました。それは朝顔などの線の細い模様とちがつて、くつきりと浮き出したやうな鮮明《あざやか》さは何にも比べやうもない美しいものでした。三つの燈籠はまたその夜涼台の上に吊されました。老婢が気を附けて、萎《しな》びぬやうにと井戸端の水桶の中に、私の燈籠は前夜もその前夜も入れられてあつたのですが、それにも関らず青白かつた彫跡《ほりあと》は錆色《さびいろ》を帯び、青い地は黒い色になつて居るのです。形も小くなり丸かつたものが細長いものに変つて居るのです。私は生れて初めて老《おい》と云ふことと死と云ふことをその夜の涼台で考へました。早く生れたものは早く老い、早く死ぬとそれ程のことですがどんなに悲しく遣瀬《やるせ》ないことに思はれたでせう。私はそれを足つぎをして下《おろ》さうとはせずにそのまゝ眺めて居ました。
次の年には父は誰のとも決めずに流《ながれ》を鮎の上る燈籠を西瓜で彫つてくれました。私はその時にはもう生命《いのち》の悲みなどは忘れて、早く自分も何かの絵を西瓜に彫つて、燈籠を作るやうになりたいとばかり思つてました。
私の生ひ立ち 四 夏祭
夏祭
お正月の済んでしまつた頃から、私等はもうお祓《はらひ》が幾月と幾日《いくか》すれば来ると云ふことを、数へるのを忘れませんでした。お祓の帯、お祓の着物と云ふことは、呉服屋が来て一家の人々の前に着物を拡《ひろ》げます度に、私等|姉妹《きやうだい》に由《よ》つてさゝやかれました。大祓祭《おほはらひまつり》は摂津《せつつ》の住吉《すみよし》神社の神事の一つであることは、云ふまでもありませんが、その神輿《みこし》の渡御《とぎよ》が堺《さかひ》のお旅所《たびしよ》へある八月一日の前日の、七月三十一日には、和泉《いづみ》の鳳村《おほとりむら》にある大鳥《おほとり》神社の神輿の渡御が、やはり堺のお旅所へありますから、誰もお祓と云ふことを、この二日にかけて云ふのです。住吉さんのお渡り、大鳥さんのお渡りと一日一日を分けては、かう云ふのです。それで七月三十日から、もうお祓の宵宮祭《よみやまつり》になるわけなのです。大阪であつても、私の郷里であつても、彼方《あちら》の地方の人は、万人共通に何事かの場合に着る着物の質の標準と云ふものが決まつて居ます。それで宵宮の日には、大抵の人は其《その》年新調した浴衣《ゆかた》の中の、最も善いものを着るのです。唯《たゞ》一枚よりその夏は拵《こしら》へなかつたものは、大人でも子供でも、その日まで着ずにしまつて置くので
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