られて飛び出したと云ふことを誰かが云ふてた。外《ほか》は皆死んだのやろけど。」
こんな気味の悪いことを私は聞かないでは居られませんでした。人はことを大きく噂にするものであるとは、子供でももう知つて居ましたが、先刻《さつき》火の見で誰かが、具清は金持だから、大きい家が焼ける位のことは何でもないと云つて居たやうな、そんなのんきなことはもう思つて居られないと思ひました。
具清の家の住居《すまゐ》と酒蔵の幾つかが焼けただけで、他家《よそ》へ火は伸びずに鎮火しました。ほい/\と門《かど》を走る人は、皆|先刻《さつき》と反対の方を向いて行くやうになりました。
「焼けた死骸に長い髪が附いて居たので娘さんと云ふことが解《わか》つた。」
「丁稚の死骸が可哀想やつた。」
道行く人は口々にこんなことを云つて行きました。具清の家は両親のない二人の娘さんが主人だつたのです。その娘さんを番頭が余りに大切にして、家の戸閉りなどを厳重にしすぎてあつたために、誰も外へは出られなかつたのださうです。鍵を持つて居る老番頭が、最初に死んだので、外《ほか》の人はどうしやうもなかつたらしいと云ふことでした。けれど三十位の一人の女中は、妹娘さんをやつとのことで伴《つ》れ出したと云ふことでした。けれど高い塀から飛んだので、大怪我《おほけが》をして居ると云ふことでした。
朝になつてから、私の父母は姉の家を引き上げて来ました。
「竹村さんに別条がなくておめでたう御座《ござ》います。」
と番頭が云ひますと、
「おかげでめでたいうちや。」
と父は云ふのでしたが、私は竹村の蔵が焼けてもよかつた、具清の娘さんが黒焦《くろこげ》の死骸などにならない方がよかつたと悲しがつて居ました。具清の死んだ若い女中の話も可哀想でした。前の晩に母親に送られて、実家からその主家へ帰つたのは、死に帰つたのだと云はれる丁稚も可哀想でなりませんでした。眼病をして居て逃げ惑つたらしいと云ふ若い手代《てだい》も哀れでした。具清の家は大きくて、城のやうな家なのでしたが、丁度《ちやうど》夏で酒作りをする蔵男《くらをとこ》の何百人は、播州《ばんしう》へ皆帰つて居た時だつたのださうです。娘さんの箪笥《たんす》が幾つも並んで焼けた所には、友染《いうぜん》の着物が、模様をそつくり濃淡で見せた灰になつて居たのが、幾重ねもあつたとか人は云ひました。焼跡は何年も何
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