桃|割《われ》の女は前の女が倒れさうになる程二三度もその持つた袖を引つ張つた。
『さうですかしら、今日《けふ》いらつしやると書いてあつて。』
 山崎と云ふ女は前の女に斯《かう》尋《たづね》て居る。
『書いてありませんでしたけれど、さうぢやないかと思つたのですよ。』
『それぢや当《あて》になりませんわ。』
 と云つて山崎は笑ふ。
『山崎さん、田鶴子姫《たづこひめ》なんですよ、だから写真なんかとるんだわね。』
 かう桃|割《われ》の女は云つて、袖を持つた手を放して少し前の方へ出た。
『よく見ませうよ、平生《ふだん》に見ようと思つたつて見られやしないのですから。』
 黒子《ほくろ》の女は山崎の傍へ寄つてかう云つた。
『なんて間《ま》が好《い》いんでせう。』
 と云つて桃割れの女は後《うしろ》を向いた。
『ほ、ほ、ほ。』
『まあお嬢さん。』
 二人の女は笑ひながら赤い顔をして下を向いた。その傍に十四五と十二三の下髪《さげがみ》にした二人の娘を伴《つ》れて立つて居た老紳士はふいと待合室の方へ歩み去つた。横浜から汽車が着いて改札口から入《はい》つて来る人々は皆|足早《あしばや》に燕のやうに筋違《すぢかひ》に歩いて出口の方へ行《ゆ》く。
『勝間さんが来てよ。』
 と桃|割《われ》の女は二人に云つた。
『さうで御座いますか。』
 と云つて山崎が向うを見る。丁度《ちやうど》其時大島の重ねに同じ羽織を着て薄鼠の縮緬の絞りの兵児《へこ》帯をした、口許《くちもと》の締つた地蔵眉の色の白い男が駅夫《えきふ》に青い切符を渡して居た。
『真実《ほんとう》に勝間《かつま》さんよ。』
 背の高い山崎は少し身を屈《かゞ》めるやうにして黒子《ほくろ》の女に云つた。
『まあ真実《ほんとう》ね。』
 その男は三人の立つて居る近くへ歩いて来た。
『お呼びよ、山崎さん。』
 と桃|割《わ》れの女は云つた。
『勝間さん、勝間さん。』
 笑ひながら山崎が云つた。
『僕。』
 と云つて横を向いた男の目に桃割れの女の姿が映つたらしい。続いて二人の女にも気が附いたらしい。
『何処《どこ》へいらつしやるの。』
 傍へ来た男はかう云つて桃|割《われ》の女を上から下までじつと眺めた。
『山崎さんの家へ遊びに伴《つ》れて行つて貰うのよ。』
 と桃|割《われ》の女は云つた。
『お嬢さんを拝借して参りましたのですよ。一晩|泊《どま》
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