ンシユも姿を出した。もう綺麗に髪が出来上つて居る。この女の目から受ける感じも口元の感じも全然一緒で、美くしくはないが小利口らしい活々とした顔である。髪がもうこの倍もあつたら美人の端に入れるかも知れない。未だ着物は木綿縞のダブレイをはおつた儘で居た。
『おかみさんの友達がね、帽子を買はないかと云つて持つて来たのださうだ。見せて貰うかい。』
男は女に云つた。
『さう、見てもいいこと。』
『気に入ればお買ひよ。』
『ぢやあ見せて貰ひませうね。』
河合はおかみさんと握手をして居た。ブランシユは首を振つておどけ抜いたことを云つて居た。寝台の上に置かれてあつた紙袋からおかみさんは江戸紫のびろうどの帽子を出した。絹の菊の小さい花が二つ附いて居て、庇には白いレエスが垂れて居る。
『好いこと。』
と女は嬉しさうに云つた。ブランシユが傍へ寄つて女の頭に帽を載せた。七八つも十も若くなつたやうな顔が直ぐ前の姿見に映るのを女は飽かず覗いて居た。
『いくらでせう、あなた。』
娘らしい声で云つた。男が聞くと五十フランだとおかみさんは云つた。
『あんまり勿体ないのね。』
『欲しければ買つておおきよ。』
『だつて。』
『いらなければ早くさう云つてお返しよ。』
『ぢやあかへしますわ。』
ブランシユは男から言ひ訳を聞いてうなづきながら
『こんなことをよく頼みに来るので私は困らせられるのですよ。』
と云つて、帽を提げておかみさんは出て行つた。
『晩には巴屋《ともゑや》へでも行かうか。日本酒がもう来て居るかも知れないね。』
カンキナのコツプを持ちながら女を見て男が云つた。
『さうね。』
女は唯さう云つただけである。まだ今の帽子が目に残つて去らないやうである。
『奥さん帽を買つておおきになれやあいいのに。』
と河合が云つた。
底本:「中央公論」中央公論社
1913(大正2)年3月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※底本には、「ルバン」と「ロバン」がともに見られます。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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