ね。息子《むすこ》の僧都《そうず》から、聞き苦しい、念仏よりほかのことをあなたはしないようになさいと叱《しか》られましてね。それじゃあ弾かせてもらわないでもいいと思って弾かないのですよ。それに私の手もとにある和琴は名器なのですよ」
 大尼君はこんなふうに言い続けて弾きたそうに見えた。中将は忍び笑いをして、
「僧都がおとめになるのはどうしたことでしょう。極楽という所では菩薩《ぼさつ》なども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね。仏勤めの障《さわ》りになることでもありませんしね、今夜はそれを伺わせてください」
 とからかう気で言った言葉に、大尼君は満足して、
「さあ座敷がかりの童女たち、和琴《あずま》を持っておいでよ」
 この短い言葉の間にも咳《せき》は引っきりなしに出た。尼夫人も女房たちも大尼君に琴を弾かれては見苦しいことになるとは思ったが、このためには僧都をさえも恨めしそうに人へ訴える人であるからと同情して自由にさせておいた。楽器が来ると、笛で何が吹かれていたかも思ってみず、ただ自身だけがよい気持ちになって、爪音《つまおと》もさわやかに弾き出した。笛も琴も音のやんだのは自分の音楽をもっぱらに賞美したい心なのであろうと当人は解釈して、ちりふり[#「ちりふり」に傍点]、ちりちり[#「ちりちり」に傍点]、たりたり[#「たりたり」に傍点]などとかき返してははしゃいだ言葉もつけて言うのも古めかしいことのかぎりであった。
「おもしろいですね。ただ今では聞くことのできないような言葉がついていて」
 などと中将がほめるのを、耳の遠い老尼はそばの者に聞き返して、
「今の若い者はこんなことが好きでなさそうですよ。この家《うち》に幾月か前から来ておいでになる姫君も、容貌《きりょう》はいいらしいが、少しもこうしたむだな遊びをなさらず引っ込んでばかりおいでになりますよ」
 と、賢《さかし》がって言うのを尼夫人などは片腹痛く思った。大老人のあずま琴で興味のしらけてしまった席から中将の帰って行く時も山おろしが吹いていた。それに混じって聞こえてくる笛の音が美しく思われて人々は寝ないで夜を明かした。
 翌日中将の所から、
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昨日は昔と今の歎きに心が乱されてしまいまして、失礼な帰り方をしました。

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忘られぬ昔
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