も人よりはすぐれていて、手紙を書いてもまた人と話しをしても洗練されたところの見える人であった。兵部卿の宮も長くこの人に恋を持っておいでになるのであって、例の上手《じょうず》に説き伏せようとお試みになるのであるが、誘惑をされてだれも陥るような御関係を作りたくないと強い態度を変えないのを、薫《かおる》はおもしろい人であると思って好意が持たれるのである。このごろの薫が物思いにとらわれているのも知っていて、黙っていることができぬ気もして手紙を書いて送った。

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哀れ知る心は人におくれねど数ならぬ身に消えつつぞ経《ふ》る

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私が代わって死んでおあげすればよかったように思われます。
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 と感じのよい色の紙に書かれてあった。身にしむような夕方時のしめっぽい気持ちをよく察して訪《たず》ねの文《ふみ》を送った心持ちを薫は感謝せずにはおられなかった。

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つれなしとここら世を見るうき身だに人の知るまで歎きやはする
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 これを返歌にした。
 答礼のつもりで、
「寂しい時の御慰問のお手紙はことにありがたく思われました」
 と言いに小宰相の家を薫は訪《たず》ねて行った。貴人らしい重々しさが十分に備わり、こんなふうに中宮の女房の自宅へなど、今までは一度も行ったことのない薫が訪ねて来た所としては貧弱な邸《やしき》であった。局《つぼね》などと言われる狭い短い板の間の戸口に寄って薫の坐《ざ》しているのを片腹痛いことに思う小宰相であったが、さすがにあまりに卑下もせず感じのよいほどに話し相手をした。失った人よりもこの人のほうに才識のひらめきがあるではないか、なぜ女房などに出たのであろう、自分の妻の一人として持っていてもよかった人であったのにと薫は思っていた。しかしながら友情以上に進んでいこうとするふうを少しも薫は見せていなかった。
 蓮《はす》の花の盛りのころに中宮は法華《ほけ》経の八講を行なわせられた。六条院のため、紫夫人のため、などと、故人になられた尊親のために経巻や仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会《ほうえ》であった。第五巻の講ぜられる日などは御陪観する価値の十分にあるものであったから、あちらこちらの女の手蔓《てづる》を頼んで参入して拝見する人も多かった。五日めの朝の講座が
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