こにいるかをありのままには夫人の言ってなかった常陸守であったから、寂しい生活をしていることであろうと思いもし、言いもしていたのを大将に京へ迎え入れられたあとで、名誉な結婚をしたと知らせようとも夫人が思っていたうちに浮舟は死んでしまったのであったから、隠しておくのもむだなことであると夫人は思い、薫と結婚をして宇治に住まわせられていたこと、そして病んで死んだ話を泣く泣く語るのであった。薫からもらった手紙も出して見せると、貴人を崇拝する田舎《いなか》風な性質になっている守は驚きもし臆《おく》しもしながら繰り返し繰り返し薫の手紙を読んでいる。
「幸福で名誉な地位を得ていて死んだ方だ。自分も大将の家人《けにん》の数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高《けだか》い殿様なのだ。息子たちのことを言ってくだすったのは非常にあれらのために頼もしいことだ」
こう言って喜ぶのを見ても、まして姫君が大将夫人として生きていたならばと思わないではいられない夫人は、臥《ふ》しまろんで泣いていた。守もこの時になってはじめて泣いた。しかしながら浮舟が生きているとすれば、かえって異父弟の世話を引き受けようなどと薫はしなかったことであろうと思われる。自身の過失から常陸夫人の愛女を死なせたのがかわいそうで、せめて慰めを与えることだけはしたいと思う心から、他の譏《そし》りがあろうとも深く気にとめまいという気になっているのである。
薫は四十九日の法事の用意をさせながらも実際はどうあの人はなったのであろう、まだ一点の疑いは残されていると思うのであるが、仏への供養をすることは人の生死にかかわらず罪になることではないからと思い、ひそかに宇治の律師の寺で行なわせることにしているのであった。六十人の僧に出す布施の用意もいかめしく薫はさせた。母夫人も法会には来ていて、式をはなやかにする寄進などをした。兵部卿の宮からは右近の手もとへ銀の壺《つぼ》へ黄金の貨幣を詰めたのをお送りになった。人目に立つほどの派手《はで》なことはあそばせなかったのである。ただ右近が志として供物にしたのを、事情を知らぬ人たちはどうしてそんなことをしたかと不思議がった。薫のほうからは家司《けいし》の中でも親しく思われる人たちを幾人もよこしてあった。在世中はだれもその存在を知らなんだ夫人の法
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