お出逢いになって、こんなに命もあぶないまでに悲しんでおいでになるのであろうという人もあるために、大将もそれを知り、故人とは自分の想像したような関係を作っておいでになったらしい、手紙をおやりになったりするだけのことではないのであった、宮が御覧になれば必ず深い愛着をお覚えになるはずの人であった、生きていたならば自分は裏切られた男としての醜名を取らなければならないのであったと、こう思うようになってからは少し故人へのあこがれがさめた気のする薫であった。
兵部卿の宮の御病気見舞いに伺候せぬ人もなく、世間の騒ぎにもなっている場合であるのに、たいした喪というわけでもないのに、自分がお見舞いにならないのも僻見をいだいているように見られることであろうからと思い、薫は二条の院へ伺った。この時分に式部卿《しきぶきょう》の宮と言われておいでになった親王もお薨《かく》れになったので、薫は父方の叔父《おじ》の喪に薄鈍《うすにび》色の喪服を着けているのも、心の中では亡き愛人への志にもなる似合わしいことであると思っていた。顔は少し痩《や》せていよいよ艶《えん》に見えた。お見舞い客が皆去ったあとの静かな夕方であった。
宮は御病気らしくお見えにはなっても、ただお気持ちが重く沈んでしかたがないという御状態にすぎないのであったから、うとうとしい人とは御面会にならぬが、お居間の中へ平生はお通しになる御親交のある人たちとはお逢いになるのであったから、薫を御引見になったが、その人の顔を御覧になると理由もなく恥ずかしくお思われになり、心弱くなっておいでになるのが隠しきれぬような涙になって出るのをきまり悪く思召しながらも、よく心持ちをお抑《おさ》えになり、
「たいした病気ではありませんが、だれもが悪くなってゆく兆候のある容体だと言って騒ぐものですから、お上《かみ》も中宮《ちゅうぐう》様も御心配あそばされるのが苦しく思われてね。それにつけてもまた人生の心細さが感ぜられてなりませんよ」
こうお言いになり、ちょっと袖《そで》で押すほどに拭《ぬぐ》うてお済ませになるつもりでおありになった涙が、どうしたかとめどもなく流れ落ちるのを、見苦しいと思召すのであるが、浮舟のために泣くとは大将に気のつくはずもなかろう、ただ人生にめめしく執着をしていると見えるだけであろうと、薫の心中を御推測のできぬ宮は思っておいでになった。やはり
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