》を巻き上げてながめていると、御寺《みてら》の鐘の声が今日も暮れたとかすかに響いてきた。

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おくれじと空行く月を慕ふかな終《つ》ひにすむべきこの世ならねば
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 風がはげしくなったので、揚げ戸を皆おろさせるのであったが、四辺の山影をうつした宇治川の汀《みぎわ》の氷に宿っている月が美しく見えた。京の家の作りみがいた庭にもこんな趣きは見がたいものであるがと薫は思った。病体にもせよあの人が生きていてくれたならば、こんな景色《けしき》も共にながめて語ることができたであろうと思うと、悲しみが胸から外へあふれ出すような気がした。

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恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山には跡を消《け》なまし
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 死を求める雪山童子《せつさんどうじ》が鬼に教えられた偈《げ》の文も得たい、それを唱えてこの川へ身を投げ、亡《な》き人に逢《あ》おうと薫《かおる》が思ったというのは、あまりに未練な求道者というべきである。
 中納言は女房たちを皆そばへ呼び集めて、話などをさせて聞いていた。様子のりっぱであることと、親切な性情を知っている女たちであるから、その中の若い人らは身にしむほどの思いで好意を持った。老いた人たちは薫を見ることによっても故人が惜しまれてならなかった。
「御病気の重くなりましたのも、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮様のお態度に失望をなさいまして、世間体も恥ずかしいとお思いになりますのを、さすがに中の君様には、それほどにまで思召すとはお隠しになりまして、ただお一人心の中でだけ世の中を悲観し続けていらっしゃいますうちに、お食欲などもまるでなくなっておしまいになりまして、御衰弱に御衰弱が重なってまいったようでございます。表面には物思いをあそばすふうをお見せにならずに、深く胸の中で悩んでいらっしったのでございます。それに中の君様に結婚をおさせになりましたことは父宮様の御遺戒にもそむいたことであったと、いつもそれをお心の苦になさいましたのでございますよ」
 こんなことを言って、いつの時、いつかこうお言いになったことがあるなどと大姫君のことを語って、だれもだれも際限なく泣いた。自分の計らいが原因して苦しい物思いを故人にさせたと、あやまちを取り返しうるものなら取り返したく思って薫は聞いたのであって、恋人の死そのものだけでなく、すべての人生が恨めしく、念誦《ねんず》を哀れなふうにしていて、眠りについたかと思うとまたすぐに目ざめていた。
 この早朝の雪の気《け》の寒い時に、人声が多く聞こえてきて、馬の脚音《あしおと》さえもした。こうした未明に雪を分けてだれも山荘へ近づくはずがないと僧たちもそれを聞いて思っていると、それは目だたぬ狩衣《かりぎぬ》姿で兵部卿の宮が訪ねておいでになったのであった。ひどく衣服を濡《ぬ》らしてはいっておいでになった。妻戸をおたたきになる音に、宮でおありになろうことを想像した薫は、蔭《かげ》になったほうの室へひそかにはいっていた。まだ女王の忌《いみ》の日が残っているのであるが、心がかりに堪えぬように思召して、一晩じゅう雪に吹き迷わされになりながらここへ宮はお着きになったのである。こんな悪天候をものともあそばさなかった御訪問であったから、恨めしさも紛らされていってもいいのであろうが、中の君は逢《あ》ってお話をする気にはなれなかった。宮の御誠意のなさに姉を煩悶《はんもん》させ続けていたころの恥ずかしかったこと、その気持ちを直させることもしていただけなかったのであるから今になって真心をつくしてくださることになっても、もうおそい、かいがないと深く中の君は思うのであって、女房のだれもが道理を説いて勧めた結果、ようやく物越しでお逢いすることになり、宮は今までの怠りのお言いわけをあそばすのであるが、ただじっと聞き入っているばかりの中の君で、この人さえも、あるかないかのような心細い命の人と思われ、続いてどうかなるのではあるまいかと思われる気配《けはい》も見えるのを、宮はお悲しみになって、今日は何事も犠牲にしてよいという気におなりになりお帰りにならないことになった。物越しなどでなく、直接に逢いたいと宮はいろいろお訴えになるのであったが、
「もう少し人ごこちがするようになっているのでしたら」
 と言い、女王はいなみ続けていた。
 このことを薫も聞いて、中の君へ取り次がすのに都合のよい女房を呼んで、
「こちらの真心に対してあさはかにも見える態度を、初めもその後もおとりになった宮を不快にお思いになるのはもっともですが、今少し情状を酌量《しゃくりょう》になって、反感をお起こしにならぬ程度にお扱いになるがよろしい。今まで御経験のなかったためにお苦しいでしょうが」
 などと忠告をさせ
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