人の数は多かった。
必ず女王《にょおう》たちの山荘へお寄りになることを信じている薫から、
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宮のお供をして相当な数の客が来ることを考えてお置きください。先年の春のお遊びに私と伺った人たちもまた参邸を望んで、不意にお訪《たず》ねしようとするかもしれません。
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などとこまごま注意をしてきたために、御簾《みす》を掛け変えさせ、あちこちの座敷の掃除《そうじ》をさせ、庭の岩蔭《いわかげ》にたまった紅葉《もみじ》の朽ち葉を見苦しくない程度に払わせ、小流れの水草をかき取らせなど女王はさせた。薫のほうからは菓子のよいのなども持たせて来、また接待役に出す若い人たちも来させてあった。こんなにもする薫の世話を平気で受けていることは気づらいことに姫君は思っていたが、たよるところはほかにないのであるから、こうした因縁と思いあきらめて好意を受けることにし、兵部卿の宮をお迎えする用意をととのえた。
遊びの一行は船で河《かわ》を上り下りしながらおもしろい音楽を奏する声も山荘へよく聞こえた。目にも見えないことではなかった。若い女房らは河に面した座敷のほうから皆のぞいていた。宮がどこにおいでになるのかはよくわからないのであるが、それらしく紅葉の枝の厚く屋形に葺《ふ》いた船があって、よい吹奏楽はそこから水の上へ流れていた。河風がはなやかに誘っているのである。だれもが敬愛しておかしずきしていることはこうした微行のお遊びの際にもいかめしくうかがわれる宮を、年に一度の歓会しかない七夕《たなばた》の彦星《ひこぼし》に似たまれな訪《おとず》れよりも待ちえられないにしても、婿君と見ることは幸福に違いないと思われた。
宮は詩をお作りになる思召《おぼしめ》しで文章博士《もんじょうはかせ》などを随《したが》えておいでになるのである。夕方に船は皆岸へ寄せられて、奏楽は続いて行なわれたが、船中で詩の筵《えん》は開かれたのであった。音楽をする人は紅葉の小枝の濃いの淡《うす》いのを冠に挿《さ》して海仙楽《かいせんらく》の合奏を始めた。だれもだれも楽しんでいる中で、宮だけは「いかなれば近江《あふみ》の海ぞかかるてふ人をみるめの絶えてなければ」という歌の気持ちを覚えておいでになって、遠方人《おちかたびと》の心(七夕のあまのと渡るこよひさへ遠方人のつれなかるらん)はどうであろうとお
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