終わり]
これが美しい貴女《きじょ》らしい手跡で書かれてあった。河風《かわかぜ》も当代の親王、古親王の隔てを見せず吹き通うのであったから、南の岸の楽音は古宮家の人の耳を喜ばせた。
迎えの勅使として藤《とう》大納言が来たほかにまた無数にまいったお迎えの人々をしたがえて兵部卿の宮は宇治をお立ちになった。若い人たちは心の残るふうに河のほうをいつまでも顧みして行った。宮はまたよい機会をとらえて再遊することを期しておいでになるのである。一行の人々の山と水の風景を題にした作が詩にも歌にも多くできたのであるが細かには筆者も知らない。
周囲に御遠慮があって宇治の姫君へ再三の消息のおできにならなかったことを匂宮は飽き足らぬように思召して、それからは薫の手をわずらわさずに、直接のお文《ふみ》がしばしば八の宮へ行くことになった。父君の宮も、
「初めどおりにお返事を出すがよい。求婚者風にこちらでは扱わないでおこう。交友として無聊《ぶりょう》を慰める相手にはなるだろう。風流男でいられる方が若い女王のいることをお聞きになっての軽い遊びの心持ちだろうから」
こんなふうにお勧めになる時などには中姫君が書いた。
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