た世間の噂《うわさ》と院の御所の空気に苦労ばかりがされて、
「かわいそうな女御さんほどに苦しまないでも幸福をやすやすと得ている人は世間に多いのだろうがね。条件のそろった幸運に恵まれている人でなければ宮仕えを考えてはならないことだよ」
 と歎息《たんそく》していた。以前の求婚者で、順当に出世ができ、婿君であっても恥ずかしく思われない人が幾人もあった。その中でも源侍従と言われた最も若かった公子は参議中将になっていて、今では「匂《にお》いの人」「薫《かお》る人」と世間で騒ぐ一人になっていた。重々しく落ち着いた人格で、尊い親王がた、大臣家から令嬢との縁談を申し込まれても承知しないという取り沙汰《ざた》を聞いても、
「以前はまだたよりない若い方だったが、りっぱになってゆかれるらしい」
 玉鬘《たまかずら》夫人は寂しそうに言っていた。
 蔵人《くろうど》の少将だった人も三位の中将とか言われて、もう相当な勢いを持っていた。
「あの方は風采《ふうさい》だっておよろしかったではありませんか」
 などと言って、少し蓮葉《はすは》な性質の女房らは、
「今のうるさい御境遇よりはそのほうがよかったのですね」
 とささやいたりしていた。しかし今も玉鬘夫人の長女に好意を持つ者があった。この三位中将は初恋を忘れることができず、悲しくも、恨めしくも思って、左大臣家の令嬢と結婚をしたのであるが、妻に対する愛情が起こらないで「道のはてなる常陸《ひたち》帯」(かごとばかりも逢《あ》はんとぞ思ふ)などと、もう翌日はむだ書きに書いていたのは、まだ何を空想しているのかわからない。院の新女御は人事関係の面倒さに自邸へ下がっていることが多くなった。母の夫人は娘のために描いた夢が破れてしまったことを残念がっていた。御所へ上がったほうの姫君はかえってはなやかに幸福な日を送っていて、世間からも聡明《そうめい》で趣味の高い後宮の人と認められていた。
 左大臣が薨《な》くなったので、右が左に移って、按察使《あぜち》大納言で左大将にもなっていた玉鬘夫人の弟が右大臣に上った。それ以下の高官たちにも異動が及んで、薫中将は中納言になり、三位の中将は参議になった。幸運な人は前にも言った二つの系統のほかに見られない時代と思われた。源中納言は礼まわりに前尚侍の所へ来て、庭で拝礼をした。夫人は客を前に迎えて、
「こんなあばら家《や》になっていきます家を、お通り過ぎにならず、お寄りくださいます御好意を拝見いたしましても、六条院の皆御恩だと昔が思われてなりません」
 などと言っている声に愛嬌《あいきょう》があって、はなやかに美しい顔も想像されるのであった。こんなふうでいられるから、院の陛下は今もこの人がお忘れになれないのであるとそのうち一つの事件をお引き起こしになる可能性もあることを薫は感じた。
「陞任《しょうにん》をたいした喜びとは思っておりませんが、この場合の御|挨拶《あいさつ》にはどこよりも先にと思って上がったのです。通り過ぎるなどというお言葉は平生の怠慢をおしかりになっておっしゃることですか」
 新中納言はこう言うのであった。
「今日のようなおめでたい日に老人の繰り言などはお聞かせすべきでないと御遠慮はされますが、ただの日にお訪《たず》ねくださるお暇はおありにならないのですし、手紙に書いてあげますほどの筋道のあることではないのですから、聞いてくださいませ。院に侍しております人がね、苦しい立場に置かれまして煩悶《はんもん》をばかりしておりましてね。はじめは女一の宮の女御さんを力のように思っていましたし、后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが、今日はどちらも無礼な闖入者《ちんにゅうしゃ》としてお憎みあそばすようでしてね。困りましてね。宮様がただけは院へお置き申して、存在を皆様にきらわれる人だけを、せめて家《うち》で気楽に暮らすようにと思いまして帰らせたのですが、それがまた悪評の種を蒔《ま》くことになったらしゅうございます。院も御|機嫌《きげん》を悪くあそばしたようなお手紙をくださいますのですよ。機会がありましたら、あなたからこちらの気待ちをほのめかしてお取りなしくださいませ。離れようのない関係を双方にお持ちしているのですから、お上げしました初めは、どちらからも御好意を持っていただけるものと頼みにしたものですが、結果はこれでございますもの、私の考えが幼稚であったことばかりを後悔いたしております」
 玉鬘《たまかずら》夫人は歎息《たんそく》をしていた。
「そんなにまで御心配をなさることではないと思います。昔から後宮の人というものは皆そうしたものになっているのですからね、ただ今では御位《みくらい》をお去りになって無事閑散な御境遇でも、後宮にだけは平和の来ることはないのです
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