ぼう》も必ず美しいであろうと薫は心の惹《ひ》かれるのを覚えた。こんなことがよくあって、新女御と薫の侍従は親しくなっていた。反感を引くようにまでは怨《うら》みかけたりはしなかったが、何かのおりには失恋の歎《なげ》きをかすめて言う薫を、女御のほうではどう思ったか知らない。
四月に院の第二皇女がお生まれになった。きわめてはなやかなことの現われてきたのではないが、院のお心持ちを尊重して、右大臣を初めとして産養《うぶやしない》を奉る人が多かった。尚侍はお抱きした手から離せぬようにお愛し申し上げていたが、院から早くまいるようにという御催促がしきりにあるので、五十日目ぐらいに、新女御は宮をおつれ申して院へまいった。院はただお一人の内親王のほかには御子を持たせられなかったのであるから、珍しく美しい少皇女をお得になったことで非常な御満足をあそばされた。
以前よりもいっそう御|寵愛《ちょうあい》がまさって、院のこの御殿においでになることの多くなったのを、叔母《おば》の女御付きの女房たちなどは、こんな目にあわないではならなかったろうかなどと思ってねたんだ。叔母と姪《めい》との二人の女御《にょご》の間には嫉妬《しっと》も憎しみも見えないのであるが、双方の女房の中には争いを起こす者があったりして、中将が母に言ったことは、兄の直覚で真実を予言したものであったと思われた。尚侍《ないしのかみ》も、こんな問題が続いて起こる果てはどうなることであろう、娘の立場が不利になっていくのは疑いないことである、院の御愛情は保てても、長く侍しておられる人たちから、不快な存在のように新女御が見られることになっては見苦しいと思っていた。
帝《みかど》も院へ姫君を奉ったことで御不快がっておいでになり、たびたびその仰せがあるということを告げる人があったために、尚侍は申しわけなく思って、二女を公式の女官にして宮中へ差し上げることにきめて、自身の尚侍の職を譲った。尚侍の辞任と新任命は官で重大なこととして取り扱われるのであったから、ずっと以前から玉鬘《たまかずら》には辞意があったのに許されなかったところへ、娘へ譲りたいと申し出たのを、帝は御|伯父《おじ》であった大臣の功労を思召す御心《みこころ》から、古い昔に例のあったことをお思いになって、大臣の未亡人の願いをお納《い》れになり、故太政大臣の女《じょ》は新尚侍に任命された
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