宮も御弟の宮がたも親友のように思召していっしょにお遊びになろうとされるしするために、暇がなく苦しい中将は一つの身を幾つかに分けて使うことができぬかとさえ歎息《たんそく》していた。時々耳にはいって、子供心にも腑《ふ》に落ちず思ったことは、今も不可解のままで心に残っているが、尋ねる人もなかった。宮にはそうした不審をいだいているとさえお思われすることのはばかられる問題であったから、ただ自身の心のうちでだけ絶え間なくそのことを考えて、
「どういうことから自分が生まれるようになったのか、何の宿命でこんな煩悶《はんもん》を負って自分は人となったのか、善巧《ぜんぎょう》太子はみずから釈迦《しゃか》の子であることを悟ったというが、そうした知慧《ちえ》がほしい」
と独言《ひとりごと》をする時もあった。
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おぼつかなたれに問はまし如何《いか》にして始めも果ても知らぬわが身ぞ
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返事はだれもしてくれない。自身の健康などもこんなことでそこなってゆくような気がして中将は歎《なげ》かれるのであった。宮がお年の若盛りに尼におなりになったのも、いったいどれほどの信仰がおありになったために、にわかに出家を断行あそばされたのか、自分の生まれてくることが不祥なことであったために、厭世《えんせい》的なお気持ちにもなられたのであろう、人がその秘密を悟らずにいるとは思われない、暗闇《くらがり》に置くべき問題であるから自分には人が告げないのであろうと中将は思った。朝暮《あけくれ》仏勤めはしておいでになるようではあるが、確固とした信念がおありになるとは思えない女の悟りだけでは御仏《みほとけ》の救いの手もおぼつかない、五つの戒めも完全に保っておゆきになれるかも疑問なのであるから、自分がその精神だけを補うことにして、後世だけでも御安楽にしてさしあげたく思った。この人はお崩《かく》れになった院も、自分というもののために不快な思いにお悩まされになったかもしれぬと思うと、次の世界ででももう一度お逢《あ》いしたいという望みが起こり、元服して社会へ出ることを厭《いと》わしがったのであるが、意志を通すこともできなくて、出仕する身になった時から、八方のはなやかな勢いがこの人を飾ることになっても、これはうれしいとは思われないで、ただ静かな落ち着いた人になっていた。帝も母宮の御縁故
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