されるのであるがあまり御面会になることもない。人と逢《あ》っている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことの噂《うわさ》になるほうが迷惑になるとお思いになって、大将などにも御簾《みす》越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒《てんとう》したように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。
 他の夫人たちの所へ稀《まれ》においでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心に湧《わ》いて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。中宮《ちゅうぐう》は御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
「お祖母《ばあ》様がおっしゃったから」
 とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召《おぼしめ》した。
 二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、梢《こずえ》が皆|霞《かす》んで見える中に、女王の形見の紅梅に鶯《うぐいす》が来てはなやかに啼《な》くのを、院は縁へ出てながめておいでになった。

[#ここから2字下げ]
植ゑて見し花の主人《あるじ》もなき宿に知らず顔にて来居る鶯
[#ここで字下げ終わり]

 春の空を仰いで吐息《といき》をおつかれになった。
 春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜《かばざくら》が咲き、藤《ふじ》はそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光
前へ 次へ
全15ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング