夕日が照って美しいのを御覧になって、
「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」
 とお言いになった院は、また、
「対の前の山吹《やまぶき》はほかでは見られない山吹ですよ、花の房《ふさ》などがずいぶん大きいのですよ。品よく咲こうなどとは思っていない花と見えますが、にぎやかな派手《はで》なほうではすぐれたものですね。植えた人がいない春だとも知らずに例年よりもまたきれいに咲いているのが哀れに思われます」
 と仰せられた。宮はお返辞に、
「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの思《も》ひもなし)
 とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを嘲笑《ちょうしょう》するにあたるようなことをお言いになるとはと院は心に思召《おぼしめ》しながらも、紫の女王はこうした思いやりのないことを言い出すこともすることも最後まで絶対にない女性であったと、少女時代からの故夫人のことを追想してごらんになると、その時はこう、あの時はこうと、才気と貴女らしい匂《にお》いの多かった性格、容姿、言った言葉などばかりがお思われになって、涙のこぼれてきたのを院はお恥じになった。
 夕方の霞《かすみ》が物をおぼろに見せる美しい時間であったから、院はそこからすぐ明石《あかし》夫人の住居《すまい》をお訪《たず》ねになった。久しくおいでがなかったのであるから突然なことに夫人は驚いたのであったが、すぐに感じよく席を設けてお迎えするようなところに、この人のだれよりも怜悧《れいり》な性質は見えるものの、また故人はこうでもない高雅な上品さがあったと思い比べられては、その幻ばかりが追われるようにおなりになって、悲しみがさらにまさってくるのを、院は御自身ながらどうすれば慰む心であろうと苦しく思召した。こちらでは落ち着いて昔の話などを院はしておいでになった。
「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が
前へ 次へ
全15ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング