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惜しからぬこの身ながらも限りとて薪《たきぎ》尽きなんことの悲しさ
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 夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から譏《そし》られることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。

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薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法《のり》ぞはるけき
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 経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけの靄《もや》の間にはいろいろの花の木がなお女王の心を春に惹《ひ》きとどめようと絢爛《けんらん》の美を競っていたし春の小鳥のさえずりも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、「陵王《りょうおう》」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭《てんとう》の衣服の色彩などもこの朝はただ美しくばかり思われた。親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。
 昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌《ようぼう》や風采《ふうさい》にも、その芸にも逢《あ》うことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫人は見渡しているのであった。まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散里夫人の所へ、
 
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絶えぬべき御法《みのり》ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
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 と書いて紫の女王は送った。

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結びおく契りは絶えじおほかたの残り少なき御法なりとも
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 これは返事である。供養に続いて不断の読経《どきょう》、懺法《せんぼう》などもこの二条の院で院はおさせになるのであった。祈祷《きとう》は常におさせになっていたが、たいした効果も見えないために、わざわざ遠い寺々などでさせることにもお計らいになった。
 夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のものであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろうかという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。こんなふうであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東の対《たい》にお住みになるはずであったから、いったんこの西の対へおはいりになることにより、お迎えの儀式なども定例どおりにしていながらも、この宮のますますお栄えになる未来の日までを見ずに終わるかというように夫人は悲しんだ。お供をして来た役人たちの姓名の披露《ひろう》される時にも、だれがいる、かれも来ていると、女王は深く耳にとまる気がした。高官たちも多数に来ていたのである。しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでになった。院がはいっておいでになったが、
「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」
 と言って、他の室《へや》へ行っておしまいになった。起きていた夫人の姿を御覧になったことがおうれしそうであったが、それはしいてよいように見てみずから慰めておいでになるのにすぎないのである。
「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまたあちらへ上がることはもうできなくなっていますから」
 と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることになった。明石《あかし》夫人もこちらへ来てしんみりとした会話が日々かわされた。女王の心の中では頼みたく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに心細い気持ちでいるかを思わせた。女王《にょうおう》は孫である宮た
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