も満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。以前から自身の願《がん》果たしのために書かせてあった千部の法華《ほけ》経の供養を夫人はこの際することとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭《てんとう》にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。内輪《うちわ》事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応《きょうおう》する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。宮中、東宮、院の后《きさき》の宮、中宮《ちゅうぐう》をはじめとして、法事へ諸家からの誦経《ずきょう》の寄進、捧《ささ》げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会《ほうえ》に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度《したく》したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。花散里《はなちるさと》夫人、明石《あかし》夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵《うちぐら》であった。北側の部屋《へや》に各夫人の席を襖子《からかみ》だけの隔てで設けてあった。
 三月の十日であったから花の真盛《まっさか》りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏《みほとけ》のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。薪《たきぎ》こる(法華《ほけ》経はいかにして得し薪こり菜摘み水|汲《く》みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王《にょおう》は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
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