すなら、今日明日だけをお待ちくださいませ。もとのお住居《すまい》へお帰りになりますとまたお悲しみが新しくなりまして、生きた方のようでもなく泣き寝におやすみになったのでございます。おなだめいたしましてもかえってお恨みになるのでございますから、私どももその苦痛をいたしたくございません。殿様のことを宮様に申し上げることはできないのでございます」
と少将は言う。
「変なことではないか、聡明《そうめい》な方のように想像していたのに、こんなことでは幼稚なところの抜けぬ方と思うほかはないではないか」
夕霧が自分の考えを言って、宮のためにも、自分のためにも世間の批議を許さぬ用意の十分あることを説くと、
「それはそうでございましょうが、ただ今ではお命がこのお悲しみでどうかおなりになるのでないかということだけを私どもは心配いたしておりまして、そのほかのことは何も考えられないのでございます。殿様、お願いでございますから、しいて御無理なことはあそばさないでくださいませ」
と少将は手をすり合わせて頼んだ。
「聞いたことも見たこともないお取り扱いだ。過去の一人の男ほどにも愛していただけない自分が哀れになる。世間へも何の面目があると思う」
失望してこう言う夕霧を見てはさすがに同情心も起こった。
「聞いたことも見たこともないと申しますことは、あなた様のあまりにお早まりになった御用意のことでございましょう。道理はどちらにあると世間が申すでございましょうか」
と少し少将は笑った。こんなふうに強く抵抗をしてみても、今はよその人でなく主人と召使の関係になっている相手であるから、拒み続けることはさせないで、少将をつれて、おおよその見当をつけた宮の御寝室へはいって行った。宮はあまりに思いやりのない心であると恨めしく思召されて、若々しいしかただと女房たちが言ってもよいという気におなりになって、内蔵《うちぐら》の中へ敷き物を一つお敷かせになって、中から戸に錠をかけてお寝《やす》みになった。しかもこうしておられることもただ時間の問題である、こんなふうにも常規を逸してしまった人は、いつまで自分をこうさせてはおくまいと悲しんでおいでになった。大将は驚くべき冷酷なお心であると恨めしく思ったが、これほどの抵抗を受けたからといって、自分の恋は一歩もあとへ退くものではない、必ず成功を見る時が来るのであるというこんな自信を持ってこの夜を明かすのであって、渓《たに》を隔てて寝るという山鳥の夫婦のような気がした。ようやく明けがたになった。こうして冷淡に扱われた顔を皆に見せることが恥ずかしくて大将は出て行こうとする時に、
「ただ少しだけ戸をおあけください。お話ししたいことがあるのですから」
としきりに望んだがなんらの反応も見えない。
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「うらみわび胸あきがたき冬の夜にまたさしまさる関の岩かど
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言いようもない冷たいお心です」
と言って、それから泣く泣く出て行った。
大将は六条院へ来て休息をした。花散里《はなちるさと》夫人が、
「一条の宮様と御結婚なすったと太政大臣家あたりではお噂《うわさ》しているようですが、ほんとうのことはどんなことなのでしょう」
とおおように尋ねた。御簾《みす》に几帳《きちょう》を添えて立ててあったが、横から優しい継母の顔も見えるのである。
「そんなふうに噂《うわさ》もされるでしょう。亡《な》くなられた御息所《みやすどころ》は、最初私が申し込んだころにはもってのほかのことのように言われたものですが、病気がいよいよ悪くなったころに、ほかに託される人のないのが心細かったのですか、自分の死後の宮様を御後見するようにというような遺言をされたものですから、初めから好きだった方でもあるのですから、こういうことにしたのですが、それをいろいろに付会した噂もするでしょう。そう騒ぐことでないことを人は問題にしたがりますね」
と夕霧は笑って、
「ところが御本人はまだ尼になりたいとばかり考えておいでになるのですから、それもそうおさせして、いろいろに続き合った面倒な人たちから悪く言われることもなくしたほうがよいとは思われますが、私としては御息所の遺言を守らねばならぬ責任感があって、ともかくも形だけは私が良人《おっと》になって同棲《どうせい》することにしたのです。院がこちらへおいでになりました時にもお話のついでにそのとおりに申し上げておいてください。堅く通して来ながら、今になって人が批難をするような恋を始めるとはけしからんなどとお言いにならないかと遠慮をしていたのですが、実際恋愛だけは人の忠告にも自身の心にも従えないものなのですからね」
とも忍びやかに言うのだった。
「私は人の作り事かと思って聞いていましたが、そんなことでもあるの
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