であるのを見ては、どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信《たより》に取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とか蝶《ちょう》とか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信《たより》をする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、祖母の大宮がお亡《かく》れになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手《はで》に行なって万事|了《おわ》るという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木《かしわぎ》が自分は好きになったのである。静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の
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