見をきわめてよくすることができるようになった。大和守《やまとのかみ》も、
「すべて殿様のありがたい御親切のおかげでございます」
と感謝していた。
母君を何も残らぬ無にしておしまいになったことで、宮は伏し転《まろ》んで悲しんでおいでになった。親は子にこのかたがたのような片時離れぬ習慣はつけておくべきでないと思い、宮のこの御状態を女房たちはまた歎き合った。大和守が葬儀の跡の始末を皆してから、
「こんなふうになさいまして、まだながく寂しい山荘においでになることは御無理です。いっそうお悲しみが紛れないことになりましょう」
などと宮へ申し上げるのであったが、宮は母君の煙におなりになった場所にせめて近くいたいと思召《おぼしめ》す心から、このままここへ永住あそばすお考えを持っておいでになった。忌中だけこもっている僧たちは東の座敷からそちらの廊の座敷、下屋《しもや》までを使って、わずかな仕切りをして住んでいた。西の端の座敷を急ごしらえの居間にして宮はおいでになるのである。朝になることも夜になることも宮は忘れておいでになるうちに日がたって九月になった。山おろしが烈《はげ》しくなり、もう葉のない枝は
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