羞恥《しゅうち》心から出入りもしなくなっているのである。それに比べて大将は非常に上手《じょうず》な方法をとったものといわねばならない。
修法をさせていると聞いて大将は僧たちへ出す布施や浄衣の類までも細かに気をつけて山荘へ贈ったのであった。その際病人の御息所は返事を書くべくもない容体であったし、女房から挨拶《あいさつ》書きなどを出しておいては、先方の好意が徹底しなかったもののようにお思いになるであろうし、宮様がお高ぶりになりすぎるようにもお思われになるであろうからと女房らがお願いしたために、宮が引き受けて礼状をお書きになった。美しい字のおおような短いお手紙ではあるが、なつかしい味のあるものであったから、いよいよ大将の心は傾いて、それ以後たびたびお手紙を差し上げるようになった。結局自分の疑いは疑いでなくなってゆきそうであると、雲井《くもい》の雁《かり》夫人が早くも観察していることにはばかられて、大将は小野の山荘を訪ねたく思いながらも実行をしかねていた。
八月の二十日ごろで、野のながめも面白いころなのであるから、山荘住まいをしておいでになる恋人を大将はお訪ねしたい心がしきりに動いて、
「珍しく山から下っていられる某律師にぜひ逢《あ》って相談をしなければならぬことがあったし、御病気の御息所の別荘へお見舞いもしがてらに小野へ行こうと思う」
と何げなく言って大将は邸《やしき》を出た。前駆もたいそうにはせず親しい者五、六人を狩衣《かりぎぬ》姿にさせて大将は伴ったのである。たいして山深くはいる所ではないが、松が崎《さき》の峰の色なども奥山ではないが、紅葉《もみじ》をしていて、技巧を尽くした都の貴族の庭園などよりも美しい秋を見せていた。そこは簡単な小柴垣《こしばがき》なども雅致のあるふうにめぐらせて、仮居ではあるが品よく住みなされた山荘であった。寝殿ともいうべき中央の建物の東の座敷のほうに祈祷の壇はできていて、北側の座敷が御息所の病室となっているために、西向きの座敷に宮はおいでになった。物怪を恐れて御息所は宮を京の邸へおとどめしておこうとしたのであるが、どうしてもいっしょにいたいとついておいでになった宮を、物怪のほかへ散るのを恐れて少しの隔てではあるが病室へはお近づけ申し上げないのである。客を通す座敷がないために、宮のおいでになる室とは御簾《みす》で隔てになった西の縁側についた
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