いになるほかはないでしょう」
 と大将が言った。そのとおりである。名はどうしても立つであろうが、自分自身をせめてやましくないものにしておきたいと思召す心から、宮は冷ややかな態度をお示しになって、

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「わけ行かん草葉の露をかごとにてなほ濡衣をかけんとや思ふ
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 ひどい目に私をおあわせになるのですね」
 と批難をあそばすのが、非常に美しいことにも、貴女らしいふうにもお見えになった。今まで古い情誼《じょうぎ》を忘れない親切な男になりすまして、好意を見せ続けて来た態度を一変して好色漢になってしまうことが宮にお気の毒でもあり、自身にも恥ずかしいと、大将は心に燃え上がるものをおさえていたが、またあまり過ぎた謙抑《けんよく》は取り返しのつかぬ後悔を招くことではないかともいろいろに煩悶《はんもん》をしながら帰って行くのであった。深い山里の朝露は冷たかった。夫人がこの濡れ姿を見とがめることを恐れて大将は家へは帰らずに六条院の東の花散里《はなちるさと》夫人の住居《すまい》へ行った。まだ朝霧は晴れなかった。町でもこんなのであるから、小野の山荘の人はどんなに寂しい霧を眺めておいでになるであろうと大将は思いやった。
「珍しくお忍び歩きをなさいましたのですよ」
 と女房たちはささやいていた。
 夕霧の大将はしばらく休息をしてから衣服を脱ぎかえた。平生からこの人の夏物、冬物を幾|襲《かさね》となく作って用意してある養母であったから、香の唐櫃《からびつ》からすぐに品々が選び出されたのである。朝の粥《かゆ》を食べたりしたあとで夫人の居間へ夕霧ははいって行った。夕霧はそこから小野へ手紙をお送りした。
 山荘の宮は予想もあそばさなかった、にわかな変わった態度を男のとり出した昨夜《ゆうべ》のことで、無礼なとも、恥を見せたともお思いになることで夕霧への御反感が強かった。御息所の耳へはいることがあったならと羞恥《しゅうち》をお覚えになるのであるが、またそんなことがあったとは少しも御息所が知らずにいて、不意に何かのことから気のついた時に、隔て心があるように思われるのも苦しい、女房がありのままを話すことによって母を悲しませることがあってもやむをえないと宮はおあきらめになるよりほかはなかった。親子と申してもこれほど親しみ合う仲は少ない母と御子なのである。世間に噂の立
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