ではない、皆前生の因縁とはいいながらも、やはり軽率なことであったと、大将は自身一人で思っていて夫人にも話さなかった。またよい機会もなくて院に故人の心をお伝えすることもまだ果たさなかった。大将としてはまたそれを話し出した時に秘密の全貌《ぜんぼう》の見られることも願っているのであるから好機は容易に見いだせないのであるらしい。
故大納言の父母は涙の晴れ間もないほど悲しみにおぼれて暮らしているのであって、日のたつ数もわからなかった。法事などの用意も子息たちや婿君たちの手でするばかりであった。供養する経巻や仏像も二男の左大弁が主になって作らせていた。七日七日の誦経《ずきょう》の日が次々来るたびに、その注意を子息たちがすると、
「もういっさい何も聞かせないようにしてくれ。あれに関した話を聴《き》けばまた悲しみが湧《わ》くばかりだから、かえってあれの行く道を妨げることになる」
と言うだけで、大臣も死んだ人のようになっていた。
一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人《おっと》を死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いお邸《やしき》
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