帳《きちょう》を少し横へお押しになって、
「夜居の加持《かじ》の僧のような気はしても、まだ効験を現わすだけの修行ができていないから恥ずかしいが、逢いたがっておいでになった顔をそこでよく見るがいい」
 と法皇は仰せられて目をおふきになった。宮も弱々しくお泣きになって、
「私の命はもう助かるとは思えないのでございますから、おいでくださいましたこの機会に私を尼にあそばしてくださいませ」
 こうお言いになるのであった。
「その志は結構だが、命は予測することを許されないものだから、あなたのような若い人は今後長く生きているうちに、迷いが起こって、世間の人に譏《そし》られるようなことにならぬとは限らない。慎重に考えてからのことにしては」
 などと法皇はお言いになって、六条院に、
「こう進んで言いますが、すでに危篤な場合とすれば、しばらくもその志を実現させることによって仏の冥助《みょうじょ》を得させたいと私は思う」
 と仰せられた。
「この間からそのことをよくお話しになるのですが、物怪《もののけ》が人の心をたぶらかして、そんなふうのことを勧めるのでしょうと申して私は御同意をしないのでございます」
「物怪の勧めでそれを行なうと言っても、悪いことはとめなければなりませんが、衰弱してしまった人が最後の希望として言っていることを無視しては、後悔することがあるかもしれぬと私は思う」
 法皇の仰せはこうであった。お心のうちでは限りもない信頼をもって託しておいた内親王を妻にしてからのこの院の愛情に飽き足らぬところのあるのを何かの場合によく自分は聞いていたが、恨みを自分から言い出すこともできぬ問題であって、しかも世間に取り沙汰されるのも忍ばねばならぬことを始終残念に思っているのであるから、この機会に決断して尼にさせてしまうとしても、良人《おっと》に捨てられたのだと、世間から嘲罵《ちょうば》されるわけのものではない。少しも遠慮はいらぬ。現在において宮の望みは遂げさせなくてはならない、夫婦関係の解消したのちに、単に兄の子として保護してくれる好意はあるはずであるから、せめてそれだけを自分から寄託された最後の義務に負ってもらうことにして反抗的にここを出て行くふうでなくして、自分からかつて宮に分配した財産のうちに広くてりっぱな邸宅もあるのであるから、そこを修繕して住ませよう、自分がまだ生きておられるうちにそれらの処置を皆しておくことにしたい。この院も妻としては冷ややかに見ても、今からの宮を不人情に放ってはおくまい。自分はその態度を見きわめておく必要があると思召して、
「では私がこちらへ来たついでにあなたの授戒を実行させることにして、それを私は御仏《みほとけ》から義務の一つを果たしたことと見ていただくことにする」
 と仰せられた。六条院は遺憾にお思いになった宮の御過失のこともお忘れになって、なんとなることかと心をお騒がせになって、悲しみにお堪えにならずに、几帳の中へおはいりになって、
「なぜそういうことをなさろうというのですか。もう長くも生きていない老いた良人《おっと》をお捨てになって、尼になどなる気になぜおなりになったのですか。もうしばらく気を静めて、湯をお飲みになったり、物を召し上がったりすることに努力なさい。出家をすることは尊いことでも、身体《からだ》が弱ければ仏勤めもよくできないではありませんか。ともかくも病気の回復をお計りになった上でのことになさい」
 とお話しになるのであるが、宮は頭《かしら》をお振りになって、おとめになるのを恨めしくお思いになるふうであった。何もお言いにはならなかったが、自分を恨めしくお思いになったこともあるのではないかとお気がつくと、かわいそうでならない気があそばされたのであった。いろいろと宮の御意志を翻《ひるが》えさせようと院が言葉を尽くしておいでになるうちに夜明け方になった。御寺《みてら》へお帰りになるのが明るくなってからでは見苦しいと法皇はお急ぎになって、祈祷《きとう》のために侍している僧の中から尊敬してよい人格者ばかりをお選びになり、産室《うぶや》へお呼びになって、宮のお髪《ぐし》を切ることをお命じになった。若い盛りの美しいお髪《ぐし》を切って仏の戒《かい》をお受けになる光景は悲しいものであった。残念に思召して六条院は非常にお泣きになった。また法皇におかせられては、御子の中でもとりわけお大事に思召された内親王で、だれよりも幸福な生涯《しょうがい》を得させたいとお思いあそばされた方を、未来の世は別としてこの世でははかない姿にお変えさせになったことで萎《しお》れておいでになって、
「たとえこうおなりになっても、健康が回復すればそれを幸福にお思いになって、できれば念誦《ねんず》だけでもよくお唱えしているようになさい」
 とお言いになった
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