た入道を与《あずか》らせることのできなかったことを院は物足らず思召されたが、それまでは無理なことであろう。実際老入道がこの一行に加わっているとしたら見苦しいことでなかったであろうか。その人の思い上がった空想がことごとく実現されたのであるから、だれも心は高く持つべきであると教訓をされたようである。いろいろな話題になって明石の人たちがうらやまれ、幸福な人のことを明石の尼君という言葉もはやった。太政大臣家の近江《おうみ》の君は双六《すごろく》の勝負の賽《さい》を振る前には、
「明石《あかし》の尼様、明石の尼様」
と呪文《じゅもん》を唱えた。
法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の行幸《みゆき》をお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三《にょさん》の宮《みや》をなお気がかりに思召《おぼしめ》されて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護を帝《みかど》にお託しになった。それで女三の宮は二品《にほん》の位にお上げられになって、得させられる封戸《ふこ》の数も多くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである
前へ
次へ
全127ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング