さと艶《えん》な趣は備わってお見えになるのであるが、ただもう少しの運が足りなかったのだと衛門督は自身のことを思っていた。

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もろかづら落ち葉を何に拾ひけん名は睦《むつ》まじき挿頭《かざし》なれども
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 こんな歌をむだ書きにしていた。もったいないことである。
 院はまれにお訪《たず》ねになった宮の所からすぐに帰ることを気の毒にお思いになり、泊まっておいでになったが、病夫人を気づかわしくばかり思っておいでになる所へ使いが来て、急に息が絶えたと知らせた。院はいっさいの世界が暗くなったようなお気持ちで二条の院へ帰ってお行きになるのであったが、車の速度さえもどかしく思っておいでになると、二条の院に近い大路はもう立ち騒ぐ人で満たされていた。邸内からは泣き声が多く聞こえて、大きな不祥事のあることは覆《おお》いがたく見えた。夢中で家へおはいりになったが、
「この二、三日は少しお快いようでございましたのに、にわかに絶息をあそばしたのでございます」
 こんな報告をした女房らが、自分たちも、いっしょに死なせてほしいと泣きむせぶ様子も悲しかった。もう祈祷《きとう》の壇は壊《こぼ》たれて、僧たちもきわめて親しい人たちだけが残ってもそのほかのは仕事じまいをして出て行くのに忙しいふうを見せている。こうしてもう最愛の妻の命は人力も法力も施しがたい終わりになったのかと、院はたとえようもない悲しみをお覚えになった。
「しかしこれは物怪《もののけ》の所業だろうと思われる。あまりに取り乱して泣くものでない」
 と院は泣く女房たちを制して、またまた幾つかの大願をお立てになった。そしてすぐれた修験の僧をお集めになり、
「これが定《き》まった命数でも、しばらくその期をゆるめていただきたい、不動尊は人の終わりにしばらく命を返す約束を衆生にしてくだすった。それに自分たちはおすがりする。それだけの命なりとも夫人にお授けください」
 こう僧たちは言って、頭から黒煙を立てると言われるとおりの熱誠をこめて祈っていた。院も互いにただ一目だけ見合わす瞬間が与えられたい、最後の時に見合わせることのできなかった残念さ悲しさから長く救われたいと言ってお歎《なげ》きになる御様子を見ては、とうていこの夫人のあとにお生き残りになることはむずかしかろうと思われて、そのことをまた人々の歎くことも想像するにかたくない。
 この院の夫人への大きな愛が御仏《みほとけ》を動かしたのか、これまで少しも現われてこなかった物怪が、小さい子供に憑《のりうつ》って来て、大声を出し始めたのと同時に夫人の呼吸《いき》は通ってきた。院はうれしくも思召され、また不安でならぬようにも思召された。物怪は僧たちにおさえられながら言う、
「皆ここから遠慮をするがよい。院お一人のお耳へ申し上げたいことがある。私の霊を長く法力で苦しめておいでになったのが無情な恨めしいことですから、懲らしめを見せようと思いましたが、さすがに御自身の命も危険なことになるまで悲しまれるのを見ては、今こそ私は物怪であっても、昔の恋が残っているために出て来る私なのですから、あなたの悲しみは見過ごせないで姿を現わしました。私は姿など見せたくなかったのだけれど」
 と物怪は叫んだ。髪を顔に振りかけて泣く様子は、昔一度御覧になった覚えのある物怪であった。その当時と同じ無気味さがお心に湧《わ》いてくるのも恐ろしい前兆のようにお思われになって、その子供の手を院はお捉《とら》えになって、前へおすわらせになり、あさましい姿はできるだけ人に見させまいとお努めになった。
「ほんとうにその人なのか。悪い狐《きつね》などが故人を傷つけるためにでたらめを言ってくることがあるから、確かなことを言うがいい。他人の知らぬことで私にだけ合点のゆくことを何か言ってみるがいい。そうすれば少しは信じてもいい」
 院がこうお言いになると、物怪はほろほろと涙を流しながら、悲しそうに泣いた。

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「わが身こそあらぬさまなれそれながら空おぼれする君は君なり
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 恨めしい、恨めしい」
 と泣き叫びながらもさすがに羞恥《しゅうち》を見せるふうが昔の物怪に違う所もなかった。嘘《うそ》でないことからかえってうとましい気がよけいにして情けなくお思われになるので、ものを多く言わすまいと院はされた。
「中宮《ちゅうぐう》に尽くしてくださいますことはうれしい、ありがたいこととはあの世からも見ておりますが、あの世界の人になっては子の愛というものを以前ほど深くは感じないのですか、恨めしいとお思いしたあなたへの執着だけがこんなふうにもなって残っています。その恨みの中でも、生きていますころにほかの人よりも軽くお扱いになったことよりも、夫婦
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