ない者になってしまうのも狂的だから、それほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思って、一曲でも十分に習いうることは困難なものとしても、これにはむずかしい無数の曲目のあるものなのだから、若くて音楽熱の盛んな年ごろの私は世の中にあるだけの琴の譜を調べたり、あちらから来ているものは皆手もとへ取り寄せて、それによって研究をしたが、しまいには私以上の力のある先生というものもなくなって不便だったものの、独学で勉強をしたが、それでも古人の芸に及ぶものでは少しもなかったのだからね。ましてこれからは心細いものになるだろうとこの芸について私は悲しんでいる」
などと院のお語りになるのを聞いていて大将は自身をふがいなく恥ずかしく思った。
「今上《きんじょう》の親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を持たれるようだから」
このお言葉を明石《あかし》夫人は自身の名誉であるように涙ぐんで側聞《かたえぎ》きをしていたのであった。
女御は箏《そう》を紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴《わごん》を院がお弾《ひ》きになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手《はで》なものになって、催馬楽《さいばら》の葛城《かつらぎ》が歌われた。院が繰り返しの所々で声をお添えになるのが非常に全体を美しいものにした。月の高く上る時間になり、梅花の美もあざやかになってきた。十三|絃《げん》の箏《そう》の音は、女御のは可憐《かれん》で女らしく、母の明石夫人に似た揺《ゆ》の音が深く澄んだ響きをたてたが、女王のはそれとは変わってゆるやかな気分が出て、聴《き》き手の心に酔いを覚えるほどの愛嬌《あいきょう》があり、才のひらめきの添ったものであった。合奏の末段になって呂《りょ》の調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、琴は五つの調べの中の五六の絃《いと》のはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。春と秋その他のあらゆる場合に変化させねばならぬ弾法の使いこなしようを院がお教えになったのを誤たずによく会得して弾いておいでになるのに、院は誇りをお覚えになった。小さい御孫たちが熱心に笛の役を勤めたのをかわいく院は思召《おぼしめ》して、
「眠くなっただろうのに、今晩の合奏はそう長くしないはずでわずかな予定だったのがつい感興にまかせて長く続けていて、それも楽音で時間を知るほどの敏感がなく、思わずおそくなって、思いやりのないことをした」
とお言いになり、笙《しょう》の笛を吹いた子に酒杯をお差しになり、御服を脱いでお与えになるのであった。横笛の子には紫夫人のほうから厚織物の細長に袴《はかま》などを添えて、あまり目だたせぬ纏頭《てんとう》が出された。大将には姫宮の御簾《みす》の中から酒器《かわらけ》が出されて、宮の御装束一そろいが纏頭にされた。
「変ですね。まず先生に御|褒美《ほうび》をお出しにならないで。私は失望した」
院がこう冗談《じょうだん》をお言いになると、宮の几帳《きちょう》の下からお贈り物の笛が出た。院は笑いながらお受け取りになるのであったが、それは非常によい高麗笛であった。少しお吹きになると、もう退出し始めていた人たちの中で大将が立ちどまって、子息の持っていた横笛を取ってよい音に吹き合わせるのが、至芸と思われるこの音を院はうれしくお聞きになり、これもまた自分の弟子《でし》であったと満足されたのであった。
大将は子供をいっしょに車へ乗せて月夜の道を帰って行ったが、いつまでも第二回のおりの箏の音が耳についていて、遣《や》る瀬なく恋しかった。この人の妻は祖母の宮のお教えを受けていたといっても、まだよくも心にはいらぬうちに父の家へ引き取られ、十三絃もはんぱな稽古《けいこ》になってしまったのであるから、良人《おっと》の前では恥じて少しも弾かないのである。すべておおまかに外見をかまわず暮らしていて、あとへあとへ生まれる子供の世話に追われているのであるから、大将は若い妻の感じのよさなどは少しも受け取りえない良人なのである。しかも嫉妬《しっと》はして、腹をたてなどする時に天真|爛漫《らんまん》な所の見える無邪気な夫人なのであった。
院は対のほうへお帰りになり、紫夫人はあとに残って女三の宮とお話などをして、明け方に去ったが、昼近くなるまで寝室を出なかった。
「宮は上手《じょうず》になられたようではありませんか。あの琴をどう聞きましたか」
と院は夫人へお話しかけになった。
「初めごろ、あちらでなさいますのを、聞いておりました時は、まだそうおできになるとは伺いませ
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