あ》わずにいることを苦しがるのですから、もう頼み少ない病状になっている際に、母の逢いたがる心を満足させないのは未来の世までの罪になるだろうと思われますから、とにかく病床をあちらへ移します。もういよいよ危篤になったというしらせがありましたら、そっと大臣邸へおいでなさい。必ずもう一度お目にかかりましょう。ぼんやりとした性質なものですから、気もつかずにあなたを不愉快におさせしたような場合もあったであろうと思われますのが残念でなりません。こんなに短命で終わろうとは思いませんで、長い将来に誠意をくんでいただける日が必ずあるもののように思って安心していました」
と、衛門督は宮に申して、泣く泣く父の家へ移って行った。宮はあとに思いこがれておいでになった。大臣家では病人の扱いに大騒ぎをして、祈祷《きとう》やその他に全力を尽くすのであった。病は最悪という容態でもない。ただ食慾《しょくよく》がひどく減退して、もうこちらへ来てからは果物《くだもの》をさえ取ろうとしなかった。教養の足りた優秀な高官と見られている人が、こんなふうに頼み少ない容体になっていることを世間は惜しんで、見舞いを申し入れに来ぬ人もない。宮中からも法皇の御所からもしばしばお見舞いの御使《みつか》いが来て、衛門督の病状を御心痛あそばされているのを見ても、両親は悲しくばかり思われた。六条院も非常に残念に思召《おぼしめ》して、たびたび懇切なお見舞いの手紙を大臣へ下された。左大将はまして仲のよい友人であったから、病床へもよく訪《たず》ねて来て、衛門督をいたましがっていた。
法皇の御賀は二十五日になった。現在での花形の高官が重い病気をしてその一家一族の人たちが愁《うれ》いに沈んでいる時に決行されるのは寂しいことのように院はお思いになったが、月々に支障があって延びてきたことであったし、ぜひ今年じゅうにせねばならぬことでもあったから、やむをえぬことだったのである。院は姫宮の心情を哀れにお思いになっていた。かねての計画のように五十か寺での御|誦経《ずきょう》が最初にあって、法皇のおいであそばされる寺でも大日如来《だいにちにょらい》の御祈りが行なわれた。
底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
1994(平成6)年6月15日39版発行
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※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年2月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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