なって、その人の弱さにさえ反感に似たようなものをお覚えになった。尚侍が以前から希望していたとおりに尼になったことをお聞きになった時には、さすがに残念な気がされてすぐに手紙をお書きになった。その場合に臨んで、されてよい予報のなかったことをお恨みになる言葉がつづられてあった。

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あまの世をよそに聞かめや須磨《すま》の浦に藻塩《もしほ》垂《た》れしもたれならなくに

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人世の無常さを味わい尽くしながらも、今日まで出家を実行しえない私を、あなたはどんなに冷淡になっておいでになってもさすがに回向《えこう》の人数の中にはお入れくださるであろうと、頼みにされるところもあります。
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 などという長いお文《ふみ》であった。早くからの志であったが、六条院がお引きとめになるために、それでない表面の理由は別として、尚侍は尼になるのを躊躇《ちゅうちょ》するところがあったのでさえあるから、このお手紙を見て青春時代から今日までの二人のつながりの深さも今さらに思われて身にしむ尚侍であった。返事はもう今後書きかわすことのない終わりのものとして心をこめて書いた尚侍の手跡が美しかった。
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無常は私だけが体験から知ったものと思っておりましたが、しおくれたと仰せになりますことで、こんなにも思われます。

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あま船にいかがは思ひおくれけん明石《あかし》の浦にいさりせし君

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回向《えこう》には、この世のすぐれた方として決してあなた様を洩《も》らしはいたしません。
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 これが内容である。濃い鈍《にび》色の紙に書かれて、樒《しきみ》の枝につけてあるのは、そうした人のだれもすることであっても、達筆で書かれた字に今も十分のおもしろみがあった。この日は二条の院においでになったので、夫人にも、もう実際の恋愛などは遠く終わった相手のことであったから、院はお見せになった。
「こんなふうに侮辱されたのが残念だ。どんな目にあっても平気なように思われて恥ずかしい。恋愛的な交際ではなしに、友人として同程度の趣味を解する人で、仲よくできる異性はこの人と斎院だけが私に残されていたのだが、今はもう尼になってしまわれた。ことに斎院などは尼僧の勤めをする一方の人になっておしまいになった。多くの女性を見てきているが、高い見識をお持ちになって、しかもなつかしい匂《にお》いの備わっているような点であの方に及ぶ人はなかった。女を教育するのはむずかしいものですよ。夫婦になる宿命というものは、目に見えないもので、親の力でどうしようもないものだから、結婚するまでの女の子の教育に親は十分力を尽くすべきだと思う。私は娘を一人しか持たなくてその責任の少ないのがうれしい。まだ若くて人生のよくわからなかったころは、子の少ないことが寂しく思われもしたものですがね。まあ孫の内親王をよくお育てしておあげなさい。女御《にょご》はまだ大人になりきらないで宮廷へはいってしまったのだから、すべてがいまだに不完全なものだろうと思われる。姫宮の教育は最高の女性を作り上げる覚悟で、微瑕《びか》もない方にして、一生を御独身でお暮らしになってもあぶなげのない素養をつけたいものですね。結婚をすることになっている普通の家の娘はまた良人《おっと》さえりっぱであれば、それに助けられてゆくこともできますがね」
 などと院がお言いになると、
「りっぱなお世話はできませんでも、生きています間は姫宮のおためになりたい心でございますが、健康がこんなのではね」
 と答えて夫人は心細いふうにわが身を思い、自由に信仰生活へはいることのできた人々をうらやましく思った。
「尚侍の所は尼装束などもまだよくととのっていないことだろうから、早く私から贈りたいと思うが、袈裟《けさ》などというものはどんなふうにしてこしらえるものだろう。あなたがだれかに命じて縫わせてください。一そろいは六条の東の人にしてもらいましょう。あまりに法服らしくなっては見た感じもいやだろうから、その点を考慮して作るのですね」
 と院はお言いになった。青鈍《あおにび》色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は御所付きの工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。座蒲団《ざぶとん》、上敷《うわしき》、屏風《びょうぶ》、几帳《きちょう》などのこともすぐれた品々の用意をさせておいでになった。
 紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌月《きづき》で音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のお崩《かく》れになった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っ
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