た。尚侍の公務を自宅で不都合なく執《と》ることにして、玉鬘はもう宮中へ出ることはないだろうと見られた。それでもよいことであった。
あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた近江《おうみ》の君は、そうした低能な人の常で、恋愛に強い好奇心を持つようになって、周囲を不安がらせた。女御《にょご》も一家の恥になるようなことを近江の君が引き起こさないかと、そのことではっとさせられることが多く、神経を悩ませていたが、大臣から、
「もう女御の所へ行かないように」
と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。どんな時であったか、女御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていて選《え》りすぐったような人たちで音楽の遊びをしていたことがあった。源宰相中将《げんさいしょうちゅうじょう》も来ていて、平生と違って気軽に女房などとも話しているのを、ほかの女房たちが、
「やはり出抜けていらっしゃる方」
とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして御簾《みす》の所へ出ようとしていた。女房らは危険に思って、
「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」
とひそかに肱《ひじ》で言い合ったが、近江の君はこのまれな品行方正な若|公達《きんだち》を指さして、
「これでしょう、これでしょう」
と言って源中将のきれいであることをほめて騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであった。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、
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「おきつ船よるべ浪路《なみぢ》にただよはば棹《さお》さしよらん泊まりをしへよ
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『たななし小舟《をぶね》漕《こ》ぎかへり』(同じ人にや恋ひやわたらん)いけないわね」
と言った。源中将は異様なことであると思った。女御の所には洗練された女房たちがそろっているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみるとそれは噂《うわさ》に聞いた令嬢であった。
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よるべなみ風の騒がす船人も思はぬ方に磯《いそ》づたひせず
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と源中将に言われた。
「そんなことをしては恥知らずです」
とも。
底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年9月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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