、思いやりもなしに婿として麗々しく扱われるようなことになっては今さら醜態で、気恥ずかしいことであると、その懸念《けねん》がいささか源氏を躊躇《ちゅうちょ》させていた。
この十二月に洛西《らくさい》の大原野の行幸《みゆき》があって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。帝《みかど》は午前六時に御出門になって、朱雀《すざく》大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬|鞍《ぐら》を整えて、随身、馬副男《うまぞいおとこ》の背丈《せたけ》までもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉《ぐぶ》したのである。浅葱《あさぎ》の色の袍《ほう》に紅紫の下襲《したがさね》を殿上役人以下五位六位までも着ていた。時々少しずつの雪が空から散って艶《えん》な趣を添えた。親王がた、高官たちも鷹《たか》使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣《かりぎぬ》を用意していた。左右の近衛《このえ》、左右の衛門《えもん》
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