てみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想《けそう》ぶりをたんと拝見しよう」
と源氏が言うと、
「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」
と女王《にょおう》は言う。
「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯《すずり》を手もとへ引き寄せながら、無駄《むだ》書きのように書いていた。
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恋ひわたる身はそれながら玉鬘《たまかづら》いかなる筋を尋ね来つらん
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「かわいそうに」
とも独言《ひとりごと》しているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいと言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪《たず》ねて行った。
「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」
と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとど[#「おとど」に傍点]などは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高《けだか》い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采《ふうさい》を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑《けいべつ》してよい気になった。まして大夫《たゆう》の監《げん》は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介《ぶんごのすけ》の至誠の賜物《たまもの》であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞《ほ》めた。確《しか》とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出
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