これを式部省《しきぶしょう》の試験に代えて作詞の題をその人たちはいただいた。これは源氏の長男のためにわざとお計らいになったことである。気の弱い学生などは頭もぼうとさせていて、お庭先の池に放たれた船に乗って出た水上で製作に苦しんでいた。夕方近くなって、音楽者を載せた船が池を往来して、楽音を山風に混ぜて吹き立てている時、若君はこんなに苦しい道を進まないでも自分の才分を発揮させる道はあるであろうがと恨めしく思った。「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって、
「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」
 と源氏へ仰せられたが、源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛|三昧《ざんまい》を忍んで物哀れな気分になった。源氏は院へ杯を参らせて歌った。

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鶯《うぐひす》のさへづる春は昔にてむつれし花のかげぞ変はれる
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 院は、

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九重を霞《かすみ》へだつる住処《すみか》にも春と告げくる鶯の声
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 とお答えになった。太宰帥《だざいのそつ》の宮といわれた方
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