かく》するものがあって不愉快であったが、若君は少しも臆《おく》せずに進んで出て試験を受けた。昔学問の盛んだった時代にも劣らず大学の栄えるころで、上中下の各階級から学生が出ていたから、いよいよ学問と見識の備わった人が輩出するばかりであった。文人《もんにん》と擬生《ぎしょう》の試験も若君は成績よく通ったため、師も弟子《でし》もいっそう励みが出て学業を熱心にするようになった。源氏の家でも始終詩会が催されなどして、博士《はかせ》や文士の得意な時代が来たように見えた。何の道でも優秀な者の認められないのはないのが当代であった。
皇后が冊立《さくりつ》されることになっていたが、斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は母君から委託された方であるから、自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の后《きさき》の立つことは一方に偏したことであると批難を加える者もあった。そうした人たちは弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》がだれよりも早く後宮《こうきゅう》にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。双方に味方が
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