たりではそこかしこに篝火《かがりび》が焚《た》かれてあった。そうしてもう合奏が済んだ。
夜ふけになったのであるが、この機会に皇太后を御訪問あそばさないことも冷淡なことであると思召《おぼしめ》して、お帰りがけに帝はそのほうの御殿へおまわりになった。源氏もお供をして参ったのである。太后は非常に喜んでお迎えになった。もう非常に老いておいでになるのを、御覧になっても帝は御母宮をお思い出しになって、こんな長生きをされる方もあるのにと残念に思召された。
「もう老人になってしまいまして、私などはすべての過去を忘れてしまっておりますのに、もったいない御訪問をいただきましたことから、昔の御代《みよ》が忍ばれます」
と太后は泣いておいでになった。
「御両親が早くお崩《かく》れになりまして以来、春を春でもないように寂しく見ておりましたが、今日はじめて春を十分に享楽いたしました。また伺いましょう」
と陛下は仰せられ、源氏も御|挨拶《あいさつ》をした。
「また別の日に伺候いたしまして」
還幸の鳳輦《ほうれん》をはなやかに百官の囲繞《いにょう》して行く光景が、物の響きに想像される時にも、太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。源氏はどう自分の昔を思っているであろうと恥じておいでになった。一国を支配する人の持っている運は、どんな咀《のろ》いよりも強いものであるとお悟りにもなった。
朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》も静かな院の中にいて、過去を思う時々に、源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。太后は政治に御|註文《ちゅうもん》をお持ちになる時とか、御自身の推薦権の与えられておいでになる限られた官爵の運用についてとかに思召しの通らない時は、長生きをして情けない末世に苦しむというようなことをお言い出しになり、御無理も仰せられた。年を取っておいでになるにしたがって、強い御気質がますます強くなって院もお困りになるふうであった。
源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。碩学《せきがく》の人たちが選ばれて答案の審査にあたったのであるが、及第は三人しかなかったのである。そして若君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。雲井《くもい》の雁《かり》を忘れる時がないのであるが、大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、無理をして逢ってみようともしなかった。手紙だけは便宜を作って送るというような苦しい恋を二人はしているのであった。
源氏は静かな生活のできる家を、なるべく広くおもしろく作って、別れ別れにいる、たとえば嵯峨《さが》の山荘の人などもいっしょに住ませたいという希望を持って、六条の京極の辺に中宮《ちゅうぐう》の旧邸のあったあたり四町四面を地域にして新邸を造営させていた。式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、紫夫人はその賀宴をしたいと思って仕度《したく》をしているのを見て、源氏もそれはぜひともしなければならぬことであると思い、そうした式もなるべくは新邸でするほうがよいと、そのためにも建築を急がせていた。春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。落《おと》し忌《いみ》の饗宴《きょうえん》のこと、その際の音楽者、舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、法事の僧たちへ出す布施《ふせ》の衣服類、一般の人への纏頭《てんとう》の品々は夫人が力を傾けて用意していることであった。東の院でも仕事を分担して助けていた。花散里《はなちるさと》夫人と紫の女王《にょおう》とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。世間までがこのために騒ぐように見える大仕掛けな賀宴のことを式部卿の宮もお聞きになった。これまではだれのためにも慈父のような広い心を持つ源氏であるが御自身と御自身の周囲の者にだけは冷酷な態度を取り続けられておいでになるのを、源氏の立場になってみれば、恨めしいことが過去にあったのであろうと、その時代の源氏夫婦を今さら気の毒にもお思いになり、こうした現状を苦しがっておいでになったが、源氏の幾人もある妻妾《さいしょう》の中の最愛の夫人で女王があって、世間から敬意を寄せられていることも並み並みでない人が娘であることは、その幸福が自家へわけられぬものにもせよ、自家の名誉であることには違いないと思っておいでになった。それに今度の賀宴が、源氏の勢力のもとでかつてない善美を尽くした準備が調えられているということをお知りになったのであるから、思いがけぬ老後の光栄を受けると感激しておいでになるが、宮の夫人は不快に思っていた。女御《にょご》の後宮の競争にも源氏が同情的態度に出ないことで、いよいよ恨めしがってい
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