二条の院の古画新画のはいった棚《たな》をあけて夫人といっしょに絵を見分けた。古い絵に属する物と現代的な物とを分類したのである。長恨歌、王昭君などを題目にしたのはおもしろいが縁起はよろしくない。そんなのを今度は省くことに源氏は決めたのである。旅中に日記代わりに描いた絵巻のはいった箱を出して来て源氏ははじめて夫人にも見せた。何の予備知識を備えずに見る者があっても、少し感情の豊かな者であれば泣かずにはいられないだけの力を持った絵であった。まして忘れようもなくその悲しかった時代を思っている源氏にとって、夫人にとって今また旧作がどれほどの感動を与えるものであるかは想像するにかたくはない。夫人は今まで源氏の見せなかったことを恨んで言った。
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「一人|居《ゐ》て眺《なが》めしよりは海人《あま》の住むかたを書きてぞ見るべかりける
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あなたにはこんな慰めがおありになったのですわね」
源氏は夫人の心持ちを哀れに思って言った。
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「うきめ見しそのをりよりは今日はまた過ぎにし方に帰る涙か
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中宮《ちゅうぐう》にだけはお目にかけねばならない物ですよ」
源氏はその中のことにできのよいものでしかも須磨《すま》と明石《あかし》の特色のよく出ている物を一|帖《じょう》ずつ選んでいながらも、明石の家の描《か》かれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。源氏が絵を集めていると聞いて、権中納言はいっそう自家で傑作をこしらえることに努力した。巻物の軸、紐《ひも》の装幀《そうてい》にも意匠を凝らしているのである。それは三月の十日ごろのことであったから、最もうららかな好季節で、人の心ものびのびとしておもしろくばかり物が見られる時であったし、宮廷でも定まった行事の何もない時で、絵画や文学の傑作をいかにして集めようかと苦心をするばかりが仕事になっていた。これを皆陛下へ差し上げることにして公然の席で勝負を決めるほうが興味のあってよいことであると源氏がまず言い出した。双方から出すのであるから宮中へ集まった絵巻の数は多かった。小説を絵にした物は、見る人がすでに心に作っている幻想をそれに加えてみることによって絵の効果が倍加されるものであるからその種類の物が多い。梅壺《うめつぼ》の王女御《おうにょご》のほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手《はで》なのはこちらにあった。典侍《ないしのすけ》や内侍《ないし》や命婦《みょうぶ》も絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。左右に分けられたのである。梅壺方は左で、平典侍《へいてんじ》、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐《だいに》の典侍、中将の命婦、兵衛《ひょうえ》の命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召《おぼしめ》して、まず日本最初の小説である竹取の翁《おきな》と空穂《うつぼ》の俊蔭《としかげ》の巻を左右にして論評をお聞きになった。
「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、思い上がった主人公の赫耶《かぐや》姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
と左は言う。右は、
「赫耶姫の上った天上の世界というものは空想の所産にすぎません。この世の生活の写してある所はあまりに非貴族的で美しいものではありません。宮廷の描写などは少しもないではありませんか。赫耶姫は竹取の翁の一つの家を照らすだけの光しかなかったようですね。安部《あべ》の多《おおし》が大金で買った毛皮がめらめらと焼けたと書いてあったり、あれだけ蓬莱《ほうらい》の島を想像して言える倉持《くらもち》の皇子《みこ》が贋物《にせもの》を持って来てごまかそうとしたりするところがとてもいやです」
この竹取の絵は巨勢《こせ》の相覧《おうみ》の筆で、詞《ことば》書きは貫之《つらゆき》がしている。紙屋紙《かんやがみ》に唐錦《からにしき》の縁が付けられてあって、赤紫の表紙、紫檀《したん》の軸で穏健な体裁である。
「俊蔭は暴風と波に弄《もてあそ》ばれて異境を漂泊しても芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が竹取物語よりずっとすぐれております。それに絵も日本と外国との対照がおもしろく扱われている点ですぐれております」
と右方は主張するのであった。これは式紙地《しきしじ》の紙に
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