はあるがくやしいと思う心も確かにかすめて書かれたものであるのを、源氏は哀れに思った。この手紙を手から離しがたくじっとながめていた。この当座幾日は山手の家へ行く気もしなかった。女は長い途絶えを見て、この予感はすでに初めからあったことであると歎《なげ》いて、この親子の間では最後には海へ身を投げればよいという言葉が以前によく言われたものであるが、いよいよそうしたいほどつらく思った。年取った親たちだけをたよりにして、いつ人並みの娘のような幸福が得られるものとも知れなかった過去は、今に比べて懊悩《おうのう》の片はしも知らない自分だった。世の中のことはこんなに苦しいものなのであろうか、恋愛も結婚も処女の時に考えていたより悲しいものであると、女は心に思いながらも源氏には平静なふうを見せて、不快を買うような言動もしない。源氏の愛は月日とともに深くなっていくのであるが、最愛の夫人が一人京に残っていて、今の女の関係をいろいろに想像すれば恨めしい心が動くことであろうと思われる苦しさから、浜の館《やかた》のほうで一人寝をする夜のほうが多かった。
 源氏はいろいろに絵を描《か》いて、その時々の心を文章にしてつけていった。京の人に訴える気持ちで描いているのである。女王の返辞がこの絵巻から得られる期待で作られているのであった。感傷的な文学および絵画としてすぐれた作品である。どうして心が通じたのか二条の院の女王もものの身にしむ悲しい時々に、同じようにいろいろの絵を描《か》いていた。そしてそれに自身の生活を日記のようにして書いていた。この二つの絵巻の内容は興味の多いものに違いない。
 春になったが帝《みかど》に御悩《ごのう》があって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣の女《むすめ》の承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位《みくらい》はお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪《ちんりん》させておいて、起用しないことは国家の損失であると思召《おぼしめ》して、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰《ごさた》が、源氏へ下ることになった。去年から太后も物怪《もののけ》のために病んでおいでになり、そのほか天の諭《さと》しめいたことがしきりに起
前へ 次へ
全27ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング