く雁《かり》の列があった。源氏は、
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故郷《ふるさと》を何《いづ》れの春か行きて見ん羨《うらや》ましきは帰るかりがね
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と言った。宰相は出て行く気がしないで、
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飽かなくに雁の常世《とこよ》を立ち別れ花の都に道やまどはん
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と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産《みやげ》を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで嘶《いなな》くようにと思うからですよ」
と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
「これは形見だと思っていただきたい」
宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
と宰相は言った。
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「雲近く飛びかふ鶴《たづ》も空に見よわれは春日の曇りなき身ぞ
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みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
こう源氏は答えて言うのであった。
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「たづかなき雲井に独《ひと》り音《ね》をぞ鳴く翅《つばさ》並べし友を恋ひつつ
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失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
と宰相は言いつつ去った。
友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。
今年は三月の一日に巳《み》の日があった。
「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊《みそぎ》をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場《みそぎば》を作り、旅の陰
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