たく寂しいものは謫居《たっきょ》の秋であった。居間に近く宿直《とのい》している少数の者も皆眠っていて、一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波が押し寄せて来るように思われた。落ちるともない涙にいつか枕《まくら》は流されるほどになっている。琴《きん》を少しばかり弾《ひ》いてみたが、自身ながらもすごく聞こえるので、弾きさして、

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恋ひわびて泣く音《ね》に紛《まが》ふ浦波は思ふ方より風や吹くらん
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 と歌っていた。惟光《これみつ》たちは悽惨《せいさん》なこの歌声に目をさましてから、いつか起き上がって訳もなくすすり泣きの声を立てていた。その人たちの心を源氏が思いやるのも悲しかった。自分一人のために、親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に彼らはなっているのであると思うと、自分の深い物思いに落ちたりしていることは、その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、昼間は皆といっしょに戯談《じょうだん》を言って旅愁を紛らそうとしたり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那《しな》の綾《あや》などに絵を描《か》いたりした。その絵を屏風《びょうぶ》に貼《は》らせてみると非常におもしろかった。源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命《いのち》があって傑作が多かった。
「現在での大家だといわれる千枝《ちえだ》とか、常則《つねのり》とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
 とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆|素描《あらがき》の画《え》のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の綾《あや》に薄紫を重ねて、藍《あい》がかった直衣《のうし》を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつでし》」と名のって経文を暗誦《そらよ》みしている声もきわめて優雅に聞こえた。幾つかの船が唄声《うたごえ》を立てながら沖のほうを漕《こ》ぎまわっていた。
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