まれた。渚《なぎさ》へ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣《なりひらあそん》の古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠く霞《かす》んでいて、三千里外の旅を歌って、櫂《かい》の雫《しずく》に泣いた詩の境地にいる気もした。

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ふる里を峯の霞《かすみ》は隔つれど眺《なが》むる空は同じ雲井か
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 総てのものが寂しく悲しく見られた。隠栖《いんせい》の場所は行平《ゆきひら》が「藻塩《もしほ》垂《た》れつつ侘《わ》ぶと答へよ」と歌って住んでいた所に近くて、海岸からはややはいったあたりで、きわめて寂しい山の中である。めぐらせた垣根《かきね》も見馴《みな》れぬ珍しい物に源氏は思った。茅葺《かやぶ》きの家であって、それに葦《あし》葺きの廊にあたるような建物が続けられた風流な住居《すまい》になっていた。都会の家とは全然変わったこの趣も、ただの旅にとどまる家であったならきっとおもしろく思われるに違いないと平生の趣味から源氏は思ってながめていた。ここに近い領地の預かり人などを呼び出して、いろいろな仕事を命じたり、良清朝臣《よしきよあそん》などが家職の下役しかせぬことにも奔走するのも哀れであった。きわめて短時日のうちにその家もおもしろい上品な山荘になった。水の流れを深くさせたり、木を植えさせたりして落ち着いてみればみるほど夢の気がした。摂津守《せっつのかみ》も以前から源氏に隷属していた男であったから、公然ではないが好意を寄せていた。そんなことで、準配所であるべき家も人出入りは多いのであるが、はかばかしい話し相手はなくて外国にでもいるように源氏は思われるのであった。こうしたつれづれな生活に何年も辛抱《しんぼう》することができるであろうかと源氏はみずから危《あやぶ》んだ。
 旅|住居《ずまい》がようやく整った形式を備えるようになったころは、もう五月雨《さみだれ》の季節になっていて、源氏は京の事がしきりに思い出された。恋しい人が多かった。歎《なげ》きに沈んでいた夫人、東宮のこと、無心に元気よく遊んでいた若君、そんなことばかりを思って悲しんでいた。源氏は京へ使いを出すことにした。二条の院へと入道の
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