が、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。太后の復讐心《ふくしゅうしん》に燃えておいでになることも面倒《めんどう》であったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶《はんもん》をあそばすのであった。
「長くお目にかからないでいる間《ま》に、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
「いいえ。式部は年
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