あることが思われておもしろくなかった。右大臣家の六の君は二月に尚侍《ないしのかみ》になった。院の崩御によって前《さきの》尚侍が尼になったからである。大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家においでになることが多くて、稀《まれ》に参内になる時は梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿《こきでん》が尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手《はで》な後宮《こうきゅう》生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに盛んになった。院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に酬《むく》いるのはこれからであると烈《はげ》しい気質の太后は思っておいでになった。源氏に対し
前へ 次へ
全66ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング