くもあったし、あわただしくもあったので、翌日|逢坂山《おうさかやま》の向こうから御息所の返事は来たのである。
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鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢までたれか思ひおこせん
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簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。霧が濃くかかっていて、身にしむ秋の夜明けの空をながめて、源氏は、
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行くかたをながめもやらんこの秋は逢坂山を霧な隔てそ
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こんな歌を口ずさんでいた。西の対へも行かずに終日物思いをして源氏は暮らした。旅人になった御息所はまして堪えがたい悲しみを味わっていたことであろう。
院の御病気は十月にはいってから御重体になった。この君をお惜しみしていないものはない。帝《みかど》も御心配のあまりに行幸あそばされた。御衰弱あそばされた院は東宮のことを返す返す帝へお頼みになった。次いで源氏に及んだ。
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める。一国を支配する骨相を持っている人です。だから私は彼がその点で逆に誤解を受けることがあってはならないとも思って、親王にしないで人臣の列に入れておいた。将来大臣として国務を任せようとしたのです。亡《な》くなったあとでも私のこの言葉を尊重してください」
前《さき》の帝《みかど》、今の君主の御父として御希望を述べられた御遺言も多かったが、女である筆者は気がひけて書き写すことができない。帝もこれが最後の御会見に院のお言いになることを悲しいふうで聞いておいでになったが、御遺言を違《たが》えぬということを繰り返してお誓いになった。風采《ふうさい》もごりっぱで、以前よりもいっそうお美しくお見えになる帝に院は御満足をお感じになり、頼もしさもお覚えになるのであった。高貴な御身でいらせられるのであるから、感情のままに父帝のもとにとどまっておいでになることはできない。その日のうちに還幸されたのであるから、お二方のお心は、お逢いになったあとに長く悲しみが残った。東宮も同時に行啓《ぎょうけい》になるはずであったがたいそうになることを思召《おぼしめ》して別の日に院のお見舞いをあそばされた。御年齢以上に
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