ばうす墨衣浅けれど涙ぞ袖《そで》を淵《ふち》となしける
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と歌ったあとでは念誦《ねんず》をしている源氏の様子は限りもなく艶《えん》であった。経を小声で読んで「法界|三昧《ざんまい》普賢大士」と言っている源氏は、仏勤めをし馴《な》れた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われていっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに慰んでいなければならないとも源氏は思った。左大臣の夫人の宮様は、悲しみに沈んでお寝《やす》みになったきりである。お命も危《あぶな》く見えることにまた家の人々はあわてて祈祷《きとう》などをさせていた。寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会《ほうえ》の仕度《したく》をするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君のお失いになったのは、貴女《きじょ》として完全に近いほどの姫君なのであるから、このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。ただ姫君
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