》しがって物怪は騒ぎ立った。それにまだ後産《あとざん》も済まぬのであるから少なからぬ不安があった。良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山《えいざん》の座主《ざす》をはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を拭《ぬぐ》い拭い帰って行った。これまで心配をし続けていた人はほっとして、危険もこれで去ったという安心を覚えて恢復《かいふく》の曙光《しょこう》も現われたとだれもが思った。修法などはまた改めて行なわせていたが、今目前に新しい命が一つ出現したことに対する歓喜が大きくて、左大臣家は昨日に変わる幸福に満たされた形である。院をはじめとして親王方、高官たちから派手《はで》な産養《うぶやしない》の賀宴が毎夜持ち込まれた。出生したのは男子でさえもあったからそれらの儀式がことさらはなやかであった。
六条の御息所《みやすどころ》はそういう取り沙汰《ざた》を聞いても不快でならなかった。夫人はもう危《あぶな》いと聞いていたのに、どうして子供が安産できたのであろうと、こんなことを思って、自身が失神したようにしていた幾日かのことを、静かに考えてみると、着た
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